「ドライブ・マイ・カー」の意味するところ

私が今でも映画が好きで、一人でふらっと観に行くのは、亡き父の影響。

初めて公開された「スターウォーズ」や、最近再映画化された「ナイル殺人事件」など、子どものころ様々連れて行ってもらいました。

そんな訳で、映画を見に行きたくなり、ちょっと落ち着いて時間が取れたので映画館へ。

 

今回は、「ドライブ・マイ・カー」を。

いろんな意味が重なり合い、含みのあるいい映画でした…。

3時間近くの長さがどうなのかと思っていたけれど、その時間を感じなかった。

この映画、見てない方にはネタバレになって申し訳ないのですが、

私がいまテーマとしているキャリア=自分の人生を生きることが、まさにこの映画のテーマであり、タイトルだったんだと、見終わって気づきました。

 

そんな意味でも、父の死をもって命の有限さを実感した今の私にとって、改めて自分の人生も見つめ返す時間にもなりました。

父とは、常にいい関係でいられた訳ではなかったけれど、

子供のころ映画館や美術館に連れて行ってもらったこと、

そして私の息子たちの相手をうれしそうにしていたこと。

命には限りはあるけれど、心に残った記憶は、それぞれの心の中でいつまでも生きているような気がします。

 

私らしく父を偲ぶのは、やっぱり映画を見ることなのかな…。

大切な時間です。


濃くて印象深かった2月も終わる

2月ももう終わりですね…

 

今月は、昨年末から緩和ケアにお世話になっていた父が6日に亡くなり、

その翌週には1年間準備してきた試験を受験し、

いつにも増して濃くて印象深い一カ月でした。

 

父については、春まではどうだろう…と既に聞いていたこともあり、心の準備はしていましたが、結局最後には立ち会えず。

突然の連絡がきて、仕事を急遽休ませてもらって実家に帰ることに。

 

ちょうど数日続けて予定を空けることができたこと、

そして身内、というより、本当に家族だけでゆっくりと父を送ることができたこと、

コロナ禍だったからということも含めて、巡りあわせはありがたかった。

 

母や姉、東京にいる長男や姪とも久しぶりに顔を合わせることができたし、

まさに父が呼んでくれたんだなと。

 

実家のある甲府(山梨)は、実は雪があまり降らないのだけれど、

荼毘にふす日はちょうど大雪になり、火葬場への行き帰りは一面雪景色。

まだ温かい父の骨壺を抱いて、真っ白な山々を車から見ていた時間は、忘れることはないと思います。

 

結局大雪で特急もすべて止まってしまい、移動するにも一苦労。

 

そうやって戻ってきてからも、気持ちの持って行き場に迷う自分と向き合い、

落ち着かない日を過ごすうちに、あっという間に試験の日に。

 

これはこれで、1年に1回の機会であり、何とかしたいと思う3回目の受験でもあり…。

まぁ試験の内容はさておき、何とか無事に試験を受けることができたこと、

本当にほっと一息…。

 

私にとって、とても濃くて印象深い2月が終わります。

 


2021年も、もう終わり

2021年も今日で終わり。

コロナ禍となって2年目の年も終わりを迎えました。

昨年は変化に翻弄され、我慢したりあたふたとしたりすることも多かったのですが、

今年は変化することも受け入れながら、変化する中でもできることや、積み重ねてきた方向へ進んできた1年でした。

そんな1年を振り返るのも年末気分あってこそ。

というのも、今携わっている仕事は年や年度とは関係なく、月1回を3ヶ月とか、週1回を6ヶ月とか、2週間の間に6日間とか、それぞれ区切りになる仕事の方が多いので、

年末と言って特に何か変わる感じもしないし、このままだと年だけが改まっていくといった感じで、ちょっと焦るのです(^-^;)

日々ぐるぐると仕事が回っているからこそ、あえて「区切り」の機会を作って振り返ること、そしてこれからの展望を考えること、大切です。

あーすればよかった…とか、準備できてなかった…とか、

考えればいろいろと思いついてしまうけれど、それでもこの1年として歩みを振り返ると、もがきながら、それでも進んできた道のりが見えてきます。

その道すがら、楽しかったこと、うれしかったこと、心が温かくなったことなどなど、自分の胸に残る思いは来年も活かせるように、今まで来た道の続きに来年を思い描いてみます。

世の中はどうなるか、まだまだ分からないけれど、その中で

「私」はどう進んでいきたいのか?

今ここにいる「私」の前に続く道を、少しずつでも、また歩んでいきたいと思います。


頭ではなく、心で選んでみた

仕事で本や資料が大量になってしまった時、今まではカバンに入れて運んでいたのですが、先日階段で転んだ時に荷物が重かったこともあり、どうにかしようとキャリーを検討し始めました。

ビジネス用のキャリーバックを買うか、フロントオープン(上開き)のスーツケースを買うか…。

通販を見ながら考えていたのですが、使い勝手を確かめるために何軒かあたってみようと近くのショッピングモールへ。

一軒目。店員さんがあれやこれやと出して説明をしてくれたのですが、なかなかこれといった気持ちにならず、お礼を言いつつ二軒目へ。

二軒目。近づくと、店の前に置かれていたのはオレンジ色の小さいスーツケース!

その瞬間、3年前のことが頭をよぎります。

必要に迫られ慌ててスーツケースを買いにいった時、オレンジ色は取り寄せになると言われ、間に合わないからと泣く泣く違う色のスーツケースを…。

そのことを思い出すと、ますます目が離せません。これは運命か?

お店の方に条件を伝えて他の商品も出してはもらったのですが、心動かず…。

条件にあまり当てはまっていない店頭のスーツケースのほうが気になります。

しばし迷う…。

このまま、機能的にOKのものを買ったとしても、このスーツケースのことを私はまたきっと思い出す。

そう思い、心の動きに従ってこちらを購入(^^)

助手席に乗せて帰る道すがら、すでに気分は「よき相棒」

お供に連れていく仕事まで楽しみに!

 

頭で分かっていることと、気持ちが乗るかどうか、その間にズレがある時

結局、頭で「正しい」ほうを選んだところで、モヤモヤは残る。

まさに、相談の現場で話される思いの一端を感じた瞬間でした。


「新たな出会い」は「自分を知る」機会

今年の夏は激しい雨や秋の長雨のような日が多く、「暑い夏」なのかどうかよく分からないうちに通り過ぎ…。

ふと夜、窓を開けたときに聞こえた虫の声に、世の中はいろいろあるけれど、秋へと季節は巡っていたんだな~と実感します。

 

仕事柄、圧倒的に初めて会う方の方が多い日常ですが、特に今月は多くの方とお会いする機会が続きます。

そんな時、自分のことは自分がよく知っていると思いつつも、

改めて、相手からどう映っているのかを考えます。

 

「キャリアコンサルタント」と聞いて、この方はどう思って今日来たのか?とか、

私と会って、どんな場だと受け止めたのか?とか、

話し始めて、今どう感じているのか?とか、

今、私からどんな印象を受けて、どんな気持ちでここにいるんだろう?と顧みます。

 

もちろん、見方によっては自意識過剰と受け止められる側面でもありますが、

私と話す中で、相手の方の話す内容も、話そうとする気持ちも、ここをどんな場だと受け止めるかも、変わってきますし、

私も「その場の環境の一部」となるわけで…。侮れません(^_^;)

 

自己理解を深めるワーク「ジョハリの窓」では、

自分の中には、「自分で」知っている自分と知らない自分があって、自分では気づいていない点を他の方からフィードバックしてもらうことで、より自分を知ることができます。

 

ワークだけでなく、人との出会いは「他者視点」を知る機会。

まさに、自己理解を深めることに終わりはなく、

それを「新たな発見の機会」と楽しみながら、試行錯誤は続きます。

 


「自分で決めること」の大切さ

お盆が明けてからというもの、首都圏を中心にコロナがみるみる広がり、明日27日から愛知も緊急事態宣言が出ることになりました。

週1回仕事で名古屋駅へ行くと、駅の通路には大勢の人があふれ、去年の緊急事態宣言が出ていた時とは様子が全く違います。

仕方ないかも…。

私もワクチン2回目が接種できたのですが、医療機関がひっ迫している状況をニュースで見るたびに、かえって気持ちを引き締めないとと、自分に言い聞かせています。

 

そんな中、対面で担当していた講座をオンラインに変更すると連絡が。

変更に対応し続ける日々はまだまだ続きそうです。

 

「変化に対応」と言っても、

自分から変えていくときは、思い切りが必要とはいえ、可能性を感じます。

でも、変化を余儀なくされてそれに対応していくときは、同じ結果になったとしても何となくモヤモヤが募ります。

そのモヤモヤの積み重ねは大きい…。

 

自分でコントロールできるかどうかはストレスに大きく影響すると、メンタルヘルスを学んだときに知って、とても納得しました。

まさに今、その影響の大きさを、日々身をもって実感しています。

 

いつ終わるか見通しがない中、小さなことでもいいので自分で決めることに意識を向けて。

その積み重ねで、自分を取り戻すことができそうです。

 


やっぱり、身体と心は繋がっている

ちょっと凹んだ出来事があって…と書いていましたが、

仕事に行く途中、最寄り駅の階段を下りながらちょっと気が逸れ、

あと3段といったところで、足から「ぐぎっ」っという音が!

その音が、心の折れる音かと思ったくらい、その時、心の動きは身体と繋がっていたのです。

 

膝をついてしまい、なんとか立ち上がったものの、足を酷くくじいていました。

そんな音を聞いたのは生れてはじめて(>_<)

 

なんとか立ち上がってみると、足は痛いけれど歩けたので仕事へ行き、帰宅後は、腫れあがった足を冷やして翌日病院へ。

レントゲンで骨折はしていないと言われ、ほっとしたものの、安静を言い渡されてしまいました。

その言葉、「ゆっくり休むように」身体から言われたような気がしました。

 

その後の1週間。安静と言われて予定を見ると、運よくお盆休み。

そして入っていた要件もオンラインばかり。

本当に心からオンラインのありがたみを痛感…。

 

相手は全国に渡り、対面だった場合、この足ではとても参加できないものばかり…。

コロナはまた広がりを見せていますが、こんな足の状況でも参加できたのはZoomが当たり前になったからこそ。

昨年からの世の中の変化に助けられた出来事でした。

 


相談するための「安心安全な場」はどこ?

コロナが流行りだしてからもう1年半くらい経ちました。

キャリアコンサルティングを対面でしようと思うと、今のご時世、マスクをして、アクリル板かビニールシート越しで、できればちょっと距離をとって…。

そうなると、マスクで顔の表情はよく見えないし、声も大きく張りがちでちょっと不自然。

それに、感染について細心の注意を払ってはいても、そもそも心配で会うことをためらう方もいます。

相談者の方が、自分のことをあれやこれや話す場として「安心安全」はとても大切なのですが、今や直接会うことが、かえって不安な状況。

 

一方、オンラインでの面談はどうか。

コロナが流行りだした当初、カウンセラー界隈では、人の温かさや息遣い、身体全体の姿勢やしぐさなどの非言語が感じにくいので、オンラインでの支援は難しいという声が大きかった。

私も最初はそういった点が心配でしたが、

よく考えると、結局それは、カウンセラー側の視点

オンラインの方が安心して話せる、という方も多いということに、徐々に気づきました。

わざわざ初対面のカウンセラーに会いに出かける心理的な負担。

ハローワークで給付金申請に必要、という理由があるキャリアコンサルティングでも、

「昨日の夜はよく寝れませんでした」という方もいらっしゃいました。

 

移動や接触での感染だけでなく、わざわざ出かけて会うことにだってハードルがある。

一方、安心できる自分の家から気軽にカウンセリングを受けることができるという、オンラインならではの心理的な安全もある。

相談する方視点での「安心安全」な選択肢が、対面もオンラインもと、

コロナによってではありますが、幅が広がったと感じます。

 

またこれから、ワクチンを接種する方が増えて集団免疫ができ、

以前のように「顔の表情もよく見える上に非言語もよく感じ取れる」対面で面談できる日が来るのも楽しみですが、

相談者の安心安全のための選択肢として、オンラインという選択が増えたことは、私にとってうれしい変化でした。