センター試験の前は、共通一次試験だった。

私が高校3年生の時受験したのは共通一次試験。それも、5教科7科目から5教科5科目に変わり、大きく制度が変更された年でした。

一番大きく変わったのは、今まで1校しか受験できなかったのが、2校(最大3校)受験することができるようになったことでした。

受ける学校が増えれば合格する機会が増えると考えるのは考えが甘く、前例のない受験体制に、受験の現場は大混乱。

前の年の倍率なんて何の役にも立たない訳で…。

しかも、大学によって前期後期が決まっていたので、どこでも2校受けられるわけではなかったのです。

そんな中で何より大変だったのが、共通一次を受ける前に2校とも願書を出さないといけないという、今では考えられない制度でした。

試験の翌日自己採点をしていた教室で、共通一次を失敗し、願書を出した大学2校とも、受験さえできずに不合格が確定してしまった同級生の背中は、今でも忘れられません。

結局翌年から、それぞれの大学が日程をA・Bに分けるようになったり、共通一次が終わった後の自己採点を見て受験校へ願書を出せるようになったり、毎年コロコロと制度が変わったあげく、「センター試験」と呼ばれる試験に変わったのでした。

今では、私立大学の入試でもセンター試験の受験結果を利用する選考が設定されていて、息子の通う普通高校でも、学年全体にセンター試験の受験が促されていました。

私は、「共通一次」を思い出すたびに、あのとき失敗した同級生の姿を思い出します。

普段は温厚で成績優秀だった彼は、その後私立大学に進み、卒業後地元で一番の新聞社であり民放放送局である企業に入社しました。

初めは記者志望だったそうですが、後に夕方のローカルニュース番組のメインキャスターとして活躍し、県内で知らない人はいないほど慕われるアナウンサーになりました。

まさに「人生何がどう転ぶか分からない」ですよね。

そして、受験生たちのこれからの人生だって、何が起こるか分からない。

だからこそ、上を向いて進んでいってほしいのです。