「ある」ことで生まれる「生きにくさ」

愛知県美術館で開かれている「ゴッホとゴーギャン展」を見に行きました。

美術館も映画館と同じく、私が一人でぷらっと行く場所の一つです。

すいている美術館だと、曜日と時間帯によっては広い展示室に私一人の時もあって、そんなときはとても贅沢な気持ちになります。

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ゴッホとゴーギャンは一緒のアトリエ兼住居で同居していた時期があり、そこでゴッホは自分の耳を切り落とし、精神を病んで入院したあげく、数年後にはピストル自殺してしまうのです。

才能がありながら何らかの生きにくさを感じて死に至ったその心中を思うと、胸が痛みます。

「ある」ことはなんでも優位に働くわけではなく、「ある」ことが障害になって生きにくくなる切なさ。

このことで思い出したのが、東京大学と日本財団が行っている「異才発掘プロジェクト」。

突出した能力は「ある」けれど、現状の教育環境に馴染めず不登校になっている小・中学生を集めた取り組みです。

緻密な絵画を描いたり物理の知識が優れていたりと、才能がありながら今の日本では周囲と違うことで馴染めず、いじめられて生きにくい生活を送ることも…。

そのプロジェクトの参加者が「自分らしく生きていい」と気づく瞬間を取材した番組を見て、そんな当たり前のことが当たり前の世の中になれば、誰もがみんな生きやすくなるのに、と。

そのために、私には何ができるんだろう?