「平等」であることは、いいのか悪いのか

雪が溶けたような小雨が強風に舞う中、一宮市の高校へ就職ガイダンスにお伺いしました。

2年生対象なので、来夏の就職活動へ向け、「就職」よりは「働く」準備といったところ。

その帰り道、最寄り駅が遠く、ご一緒した方と一緒にタクシーに。

すると、偶然運転手の方がこの高校の卒業生ということで話がはずみました。

景気が悪くなると、タクシーの運転手に転職してくる人が増えて売上が下がってしまうので、そういう点では今はいい時期だと。

また、みんなと一緒に…という行動はあまり好きではなかったので、今の仕事がとても合っているとも。

歩合の給料についても、がんばれば結果に繋がるからやりがいがあると。

何でも、誰でも、平等がいい訳ではないですね。

もちろん最低限の安定は必要ですが、固定ではない収入を上げようと日々頑張っている様子が伝わってくるお話でした。

お話を伺いながら、もしこの方が「平等」をもとに評価され、がんばっても同じ給料だったら、やる気をなくすように感じました。

一時期、「ゆとり教育は運動会の徒競走で、競争させずにみんなで手を繋いでゴールする」という話が揶揄された時期がありました。

がんばって成果に差がつくことや、そもそも得意なために優位に立つことが、あたかも悪いことのように受け止められる内容でした。

でも、みんなそれぞれ違うところができたりできなかったりするのは当然なこと。

その違いを認め合い尊重することのほうが大切です。

私も集団教育の場を窮屈に感じていたこともあり、誰もが「平等」がいいとは限らないことを思い出したお話でした。


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