本への「書き込み主」に、思いを馳せる

先日、既に絶版になった本が欲しくて、中古の本をAmazonで購入。

やっと手元に届いたのでパラパラと見ていたら、「書き込みなし」とあった本を選んだのに、鉛筆で書き込みが!

薄く書かれていたので、見逃されていたようで(^^;)

読むと、自分の経験を振り返るワークの所に、

「バイトでひどく叱られました」とか

「グループワークがうまくいきません」とか

所々書き込んであります。

カウンセリングのワークブックとして、大学で心理学を学ぶ学生さんの教科書としても使われていた本だと聞いていたし、きっとこれを書いたのは学生さん。

所々しか書いてない様子から、先生から課題として取り組むように言われたところへ記入した感じ。

 

そもそもこの学生さんは、どうしてこの本を手放したのか?

書き込んだことは忘れてしまったのか。

「書いてあるけど、まあいいか」と思える内容だったのか。

もう心理学やカウンセラーからは離れてしまったのか。

それとも、この本を糧に力をつけて、今ではより専門的なレベルに達しているのか。

思いは膨らみます。

 

ついつい、他のページはどんなことが書いてあるか見てみると、

自分の感情を振りかえるワークでは「親からグチを言われて口論になりました」と。

「賛同したほうが親の気分が楽になるのですが、きいているのも苦痛ですし、自分のグチはきいてくれないのがなんか腑に落ちないので、葛藤しています」と。

 

この学生さんの気持ちを思うと、会ったことのない私も身につまされます。

それに、丁寧に自分の気持ちを振り返っていることに感心してしまいます。

こうやって自分を丁寧に振り返って、学びを深めていったんだな、と思うと、

会ったこともないこの学生さんが、何となく同志のように思えてきました。

 

この学生さんが、丁寧に自分を振り返って書き込んだことにも思いを馳せながら、

私はどう思うか振り返って、一緒に学んでいきたいと思います。

 


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