結果を出すために努力するのは「スポーツ」も「営業」も同じこと

大学が強化しているバスケットボール部の学生さんと話している時のこと。

社会人との練習の場で、実力をつけるために自分より実力がある人が参加する日を敢えて選んで練習に参加していたと。

その人たちの技を盗み、まねをして、少しづつ力をつけていったとのこと。

だからこそ、彼はレギュラーメンバーの主軸として活躍し、チームを結果へと繋げることができたのです。

彼は、みんな実力者ぞろいでそれでもなお頑張っているのだから、みんなと同じことをしていてはその中でレギュラーになることはできないと分かっているのです。

そして、そのためには何をすればいいのかを考え、工夫して努力を積み重ねてきたのです。

さらに努力するだけでなく、その努力を結果へ繋げようと日々取り組んでいたはず。

これこそ「営業」でも生きる力です。

でも彼は「営業ってノルマあってブラックですよね~」と。

例えば彼が、個人で営業成績を出す仕事についたら、「周囲を見て学びながら成績という結果を出し、営業成績という分かりやすい部分で評価され、やる気に繋がる」ような気がします。

まぁ実際にその仕事についてどのように彼が思うかは、仕事や企業と接点を持ってこれから考えていくことになるのですが…。

最近は、「ノルマ」「ブラック」といった言葉で、自分や仕事を本当に理解しないまま判断しているケースをよく目にします。

自分の力が何に活かせるのか、その仕事ではどういう評価があるのか、そんな「自己理解」と「仕事理解」を経て、自分らしい頑張りが認められ、自分も成長する仕事へ結びつくよう、面談は続きます。


9日間の長旅を経て、荷物が無事着いた。

送った荷物が着いたと長男からLINEが来ました。

8日の夕方に、近くの郵便局から送りだした後、「国際郵便追跡サービス」で荷物は今どこなのか時々見ていたところ、12日にはモスクワに到着。

税関を通って発送されたので、「もうそろそろ着くかも」と長男にLINEで連絡。

着いたら教えてと頼みました。

ところがなかなか連絡が来ない。

「どこか行っちゃったのかな~?」

「中身は食品って書いてあるから、誰かが持って行ったかも…」

と不安に思っていたところ、やっと着いたと連絡がありました。

あちこち、いろんな人の手を介して着いたはずなので、よっぽど箱もぼこぼこになっているのかと思ったら、着いた荷物の写真は結構しっかりしていました。

中に入れたおせんべいも、無事割れないまま。

当たり前なことだけど、「意外と大丈夫なんだ~」と親子して感心したのでした。

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息子も、しばらくは日本の食べ物を楽しめそうです。


新卒就活も既に本格化

2019年卒、つまり現大学3年生の就職活動は、去年に比べて急増したインターンシップへの参加を皮切りに、既に始まったような状況です。

大学も、独自のイベントを実施して就職活動を後押し。

3月の就職活動(広報活動)解禁前ということで、実質「企業説明会」を「業界研究」という呼び方で実施したり、学内へ多数の企業に集まってもらい、ブースを設営して合同説明会を実施したり、と既に企業との接点を作っています。

私も、これからしばらくは大学の就職支援の仕事が続きます。

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今週からは、名古屋市内の私立大学で終日履歴書添削。

面談時間が短く設定されているので、基本的な履歴書の第一印象をまずはチェックします。

文字の大きさや誤字脱字、「てにをは」の修正や記入間違いなど。

世間では、履歴書はパソコンで作成したものをメール添付することも増えましたが、大学新卒就活では、エントリーシートはWeb提出も増えたものの、履歴書はまだまだ手書き。

字が下手だと思う人も、読む人が読みやすいようとにかく「丁寧に」

その心掛けだけで字の印象は随分変わります。

時間の余裕をもって書くという準備もプラスに働きます。

そうして作られた履歴書を、私も心して読ませてもらい、よりその学生さんの良さが伝わるよう面談していきます。


ここからロシアのカザンまで、何日かかる?

長男とスカイプで話をしていると、同じ寮にいる留学生に日本から荷物が届いたという話題に。

「何か欲しいものある?」

と聞くと、「醤油が高いから欲しい」とのこと。

他にも、「お好み焼きを作ったけどソースがなくて、お好み焼きにならなかった」とも。

「食材は手に入るけど、調味料を送って欲しい」という言葉に、もう留学生活も半分過ぎてしまったし、この機会にチャレンジしてみようと思いました。

どうやって送ろうかと調べてみると、かかる日数や送料、確実性(これ大切)をふまえて、EMS(国際スピード郵便)か。

まずは郵便局で箱を買って送り状をもらいました。

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間違えるといけないので一応2枚。

そして、欲しいと言っていたものを中心に買い出し。

しょうゆ・ソース・みそ・インスタントラーメン・もち・のりなどなど。

隙間に、おやつでおなじみ「おにぎりせんべい」や「しるこサンド」「ベビースター」の小袋も詰めてみました。

とりあえず箱に詰めてみて、入る量も確認。

そのあと、入れたものとその重さや値段を送り状に書かないといけないので、送るものを英語に訳したり重さを測ったり…。

初めて送る私にとって、大仕事です(^^;)

何とか荷造りをして郵便局の窓口へ持ち込んだのですが、ここで、国名について窓口のおじさんとひと悶着。

ロシアなのかタタールスタンなのか。

カザン市は、ロシア連邦の中の、タタールスタン共和国の首都なのです。

電話でどこかに確認してもらって、「ロシア」と記入することに。

やっとのことで、送ることができました。

4日で着くと書いてはありましたが、ネット上には2週間かかったとのコメントもあり、どうなんでしょう。

あとは待つばかり。


自分でも気づいていなかった「受け止め方」

性別も年齢も職業も肩書も、性格や価値観も、本当に様々な方と接する機会が多い仕事なので、私は自分では受け止め方に偏りがないと思っていました。

でも実際に、小さな部品工場の社長さんが同世代の女性だったとき、「へぇ~、珍しいな」と感じました。

私の中で、女性社長は「当たり前」ではなかったのです。

障がい者就労継続支援施設で大声を上げた通所者の方を前にどう対応していいか分からなかったとき、障がい者も自分と変わらないと思っていたのに、偏見の種みたいなものが自分の中にもあることに気づきました。

もちろん、そんな種は無いに越したことはないのですが、そこは現実の話。

価値観だって、「そうは思わないんだけど」と話を聞いて思うこともあれば、「この方の考え方は私に似ている」と思うこともあります。

それぞれ大切なのは、「私はそう感じた」「私はそう思う」という自分のフィルターがかかっていることを意識することです。

どんなにフラットな気持ちで受け止めたと思っていても、受け止め方には自分のフィルターがかかるのです。

このところ、自分でも気づいていなかった「受け止め方」を体感し、いろいろな人と接して様々な行動を経験することは大切だと、改めて気づきました。

同じ顔ぶれ同じ行動範囲では、自分の反応が当たり前になって気づかなくなります。

まだまだ私にも「自分らしい」受け止め方があることに気づき、その点を分かったうえで、できる限りフラットな気持ちで関わることの大切さを再認識した出来事でした。


立春は、「春」というより一番寒い季節

今日は立春。

お正月からまだ一ヶ月しかたっていませんが、旧暦でいえば新しい年の始まる季節。

天気もよかったので、豊川稲荷に行ってきました。

うちは名古屋鉄道エリアなので、今回はのんびり名鉄で豊川稲荷駅まで。

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駅前では狐の像がお出迎えです。

天気は良かったのですが、何しろ風が冷たい(>_<)

そんな冷たい風の中、細い通りをしばらく歩くと参道につきました。

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ここでは「こまいぬ」ではなく、きつねさんが鳥居の両脇に並んでいます。

鳥居があるから神社と思いがちですが、三大稲荷の一つである豊川稲荷は、実は「妙厳寺」というお寺なのです。

その証拠に、お昼過ぎには境内の鐘つき堂でお坊さんが鐘をついていました。

何とも不思議な空間を本堂へと進みます。

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本堂内には「立春大吉」のお札が貼ってあり、なんだかいい年になりそうな気持ちに(^^)

奥の院までいけば、狐の石像がびっしりと置かれたエリアもあります。

いつ来ても、私はここだけ空気が違うように感じます。

でも霊感はないので、単なる雰囲気だとは思いますが、大きさの違う狐の石像が隙間なく置かれた光景は壮観です。

そうしてぐるっとお参りをし、気分もすっきりした後は、門前で名物の稲荷ずしを食べて帰途につきました。

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外へ出れば、街角での出会い

このところ、事業所へお伺いして面談する機会が続き、あちこち移動する日が続いています。

どちらかというと車で出かけることが多かったのですが、今日は地下鉄。

名古屋にある鶴舞駅の近くでした。

その事業所へ向かう道すがら、交差点にある事務所っぽいドアへ、人が次々に入っていきます。

不思議に思って中をのぞくと、なんとパン屋さん!

5人くらいしか入れない店内に、パンがたくさん並んでいます。

行きはとりあえず通り過ぎたものの、帰りは気になる…。

お昼時、中には人がギュウギュウ詰めなので、いったんは駅へと通り過ぎたものの、鶴舞駅にはなかなか降りないし…と戻って店内へ。

外から見ていた通り、中は狭く、並んでいる人で棚のパンもよく見えません。

それに種類がとても多くて、それぞれ名前が書かれた札が並んでいるのですが、それもなかなか見えない。

ともかく順番を待ち、今日のお昼のキッシュと、明日の朝のパンと…と選んでいると、前に並んでいた30代の男性のお客さんが、次々に注文していきます。

注文が止まらず、一体どれだけ?と思っていると、お会計5千円越え(◎_◎)

実はそのお店、「スーリープー(SURIPU)」という有名なパン屋さんだそうで、遠くから買いに来る人もいるとのこと。

知らなかった(^^;)

もともと来る人を待つ仕事が好きではない私としては、そんなお店との出会いも楽しい外回りの仕事でした。


「家業を継ぐ」という選択

雪が舞う中、キャリアコンサルティングでお伺いした事業所では、いろいろな事情を経て、父・兄・弟の家族3人が同じ会社で働いていました。

家族と一緒に働くといえば、週一回お伺いしている大学でも、親が自営の学生とその話題になります。

「家を継ぐの?」と聞くと、「まだ親とははっきり話していないけど…」という学生も。

大学生ともなれば、親は何も言わずともいろいろと考えているようです。

就職活動をして企業へ就職はするけれど、将来的には家業を継ぐことを考えているという話。

じゃあどんな方向へ就職活動していくか、というやりとりに。

家業を見て育ったとはいえ、その時点では子供の目線。

実際に事業として成長させ、従業員の生活を意識するとなると、話は別です。

そのために必要なことは何か、一緒に考えていきます。

近い業界での営業経験なのか、全く異なる業界の視点なのか、新しい事業を形にする経験なのか…。

自分も一緒に働き、先々経営にも関わっていくという視点を持って考え、できることならその視点で親と話すことを勧めています。

やはりその道のプロですし、「子」が「同志」になることを親にも実感してもらうことは大切です。

親はいつまでも子供のままだと思って、子供がそんなことを考えている実感がない場合が多いのです。

子は親の経験や実績をもとに学び、親は子の新たな視点と思いを持って取り組む姿勢を尊重する。

そんな関係で家業を成長させていってほしいと思います。


ジョージアの空の下

冬休み期間、旅行に出ていた長男から、無事大学のあるカザンに戻ったと連絡がありました。

不思議なもので、遠いロシアのカザンに戻ったと聞いて、なぜかホッとしました。

いやいや、カザンも遠い遠いロシアなのに…。

私も感覚がマヒしています。

この10日間、アゼルバイジャン・アルメニア・ジョージア・モスクワと旅をした長男。

日本で、ジョージア出身の栃ノ心が優勝したことを伝えると、出身の街へも立ち寄ったと言って、写真を送ってくれました。

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「きれいでいいところだった」と。

当然ながら、日本にいながら海外の古い建物や遺跡を直接見ることはできない訳で、この写真を見て、あらためて直接見た長男がうらやましい。

海外の古いお寺(教会)もすごいですね。

長男はこの光景を前に、何を感じたのか?

そんな話もゆっくりしてみたいです。


私にとっての「メンター」

久しぶりに浜松へ行って懐かしかった…と言って思い出すのは、新入社員の頃、机が向かい合わせだったMさんのこと。

その方は、当時40代半ばの男性の方でした。

同じ山梨県出身なうえ、出身大学も同じだったこともあり、私を子分のようにかわいがってくれました。

まだワープロが主流の時代に、パソコンのエクセル機能をMさんに教えてもらいながら身につけたことで、私はその後の仕事でパソコンに自信が持てました。

仕事だけでなく、仕事帰りに一人暮らしの私をお寿司屋さんへ連れて行ってくれ、「社会」を学ばせてくれました。

取引先との接待で、スタンドマイクを振り回し、世良公則さんの「あんたのバラード」を熱唱していた姿は今でも忘れられません。

Mさんは典型的「B型」と言われ、周囲は振り回されることも多かったのですが、私にとっては、仕事に対する考え方や姿勢、分からない仕事の対応など、とても頼りになる存在でした。

私がその会社を辞め、結婚し長男を出産した半年後、Mさんが病気で亡くなったことを知らされました。

まだ生まれて半年の長男を伴って浜松での葬儀に向かったのですが、出棺に間に合わず…。

「遅いよ~」と空から言われているような気がしました。

働く上で「メンター」の存在が話題に出ます。

制度として設定している企業もあります。

メンターは指導や助言をする存在なのですが、精神的な支えとなることも大切な役割です。

仕事、会社、そして社会を客観的に捉え

相談すると私の仕事も客観的に評価してくれ

社会で働くことや、仕事に取り組む姿勢の見本となる

私にとって、Mさんはそんな存在でした。

Mさんがこう言っていたな~、なんてことを、25年以上たった今でも思い出し、私は先へ進んでいます。