18歳で親を送る。

先日、次男の小中学校の同級生のお父さんが亡くなり、お通夜に参列してきました。

51歳でした。

早すぎる死に、私もショックを受けました。

喪主は同級生のお母さん(つまり亡くなった方の妻)がつとめていたのですが、2歳年下の弟と、3人で並んで参列者に頭を下げている姿に心が痛みました。

お通夜が一通り済んだ後、亡くなった方の会社の方々にがんばるように声を掛けれられ、お母さんを助けるようにと言われている様子に、切なくなりました。

我が家の次男の同級生。

同じように進学の節目を迎え、それだけでも動揺する日々なのに、もう既に家族の存在を意識する立場に立たされるとは…。

私が18歳の時なんて、自分のことばかり考えていたなぁ…。

大人になるってなんだろう、大人にされるっていうことなのか、いろいろ考えてしまいました。

亡くなったお父さんも、息子たちの成長を見ることのできる、これからといった時期での別れに、さぞ心残りだろうと思います。

一番交流のあったお母さんも、わが身に置き換えて、不安でさみしいばかりかと…。

心より故人のご冥福をお祈りします。


子供に「レジリエンス」を鍛えられた私

ある懇親会でご一緒した方との話題で、受験生の母子関係の話題になりました。

その方曰く、受験生へは母親の精神状態がとても影響が大きいと。

母親が大らかでいることで、子供もがんばれるわけですね。

でもそうそうそんな訳にはいかないから、私は次男とのやり取りに行き詰ったら、あえて仕事を入れていました。

私は気持ちが子供のことに集中しすぎるのが怖くてそうしていたのですが、それは「自分をコントロール」していたのだと言われたのです。

最近では、「折れない心」とか「逆境を乗り越える力」としての「レジリエンス」が話題になっています。

つまり大木のどっしり感より、竹のようなしなやかさ(レジリエンス)の方が大切だと言う考えです。

そして、しなやかに乗り越えていくためには、うまくいかないときの自分のコントロールの仕方が大切になってくるのです。

無意識にやっていたとはいえ、私に受け流して乗り切っていく力がついたのは、子育てを経験したからだと思っています。

子育ては思い通りにいかないことだらけ。

でも、もともと私は段取り通り進んでほしいタイプだったので、モヤモヤすることが多かったのです。

結局、思い通りにいかないことが続きすぎるので、徐々に工夫するようになりました。

待つ間に何か少しでも自分がやりたかったことをして「待つストレス」を「得した」気持ちにする。

熱い思いで話しても言う通りには動かない子供を前に、自分の好きなことをやる時間を取って気持ちを落ち着かせる。

数え上げればきりがないくらい、子育ての中で「やりすごす」行動をとり続けてきました。

そんな積み重ねが私をしなやかにさせた訳です。

私が子育てをしたような気になっていても、実は子供に鍛えられてきたんですね…。


私の苗字

大学生の就職活動は3月に広報活動が解禁になります。

つまり、来月には説明会が始まり、それに伴って選考活動が本格的に進められるのです。

その直前ということで、ここ数日集中的な履歴書添削イベントに携わってきました。

連日多くの学生さんが並んで待っているので、その熱意を形にできるように、気持ちを引き締めて対応しています。

IMG_1493

前にも触れましたが、名古屋近郊は世間が狭く、このイベントに参加する10人程度のカウンセラーさんたちの中に顔見知りが2人も含まれていました。

そのうちのお1人は、名前だけ聞いていた時には気づかなかったのでよく名札を見ると、以前お会いした時と苗字が違います。

いろいろと憶測しかけましたが、直接聞いた方が早いと思って聞いてみると、ビジネスネームとして旧姓を使っていて、たまたま以前出会った仕事だけ戸籍上の姓(結婚後の姓)で受けていたとのことでした。

実は私、悪気はないのですが、結婚した後の苗字は今でも「もともと私の苗字じゃないし~」と感じています。私にとっては、旧姓「相河」が「私の苗字」です。

でも、「別姓にする」というほど強く意識しているわけでもないのです。

ただ私の旧姓は同じ苗字の人が少ない上、私も姉も結婚して苗字が変わっているので苗字を継ぐ人がいないのです。

そこで、「使ってみたいな~」という思いが再燃。

まあ、これだけこの苗字で仕事しておいて今更ですけど…。


豆まきで鬼退治したら、春が来る。

今日は節分。

私が幼い頃は、山梨の実家の近所にある「大神宮祭」というお祭りに行くのが恒例でした。

2つの神社の間にある道を鬼が子供たちを脅かしながら通っていくのですが、通り道の沿道には出店が並び、夜遅くまでとても賑やかでした。

このお祭りでは山梨特有の食べ物も売られていました。

「切山椒(きりざんしょう)」は拍子木のように細長い形でほんのり山椒の香りがする甘くて柔らかい餅

「かや飴」「落花生飴」は板チョコ状に薄く延ばされ中にピーナッツの入った琥珀色の飴

言葉では説明しにくいけど、長いこと節分に帰省することがないので写真もなく…。

この時期しか売られていないので、思い出すと無性に食べたくなります。

縁起物の「甲州ダルマ」は、描かれた眉が鶴を髭が亀を表していると言われ、手描きされているので毎年顔を見て選ぶのも楽しみでした。

他にも熊手などの縁起物を売る店が連なり、ワクワクしながら店を回ったことを思い出します。

甲府盆地で2月の始めといえば目に入る南アルプスは真っ白で、「八ヶ岳おろし」といわれる北西のからっ風が吹き荒れる時期。

「立春」とは名ばかりの寒い季節の中、縁起物の連なる店やそれを買い求める人ごみの中、春を待ち遠しく感じたことを思い出します。

明日は二十四節気の始まり「立春」

暦上は明日から新しい年が始まります。

新年を迎えてまだ1月あまりですが、ここでリセットできるのもありがたい。

新たな気分でがんばりましょう!


「ある」ことで生まれる「生きにくさ」

愛知県美術館で開かれている「ゴッホとゴーギャン展」を見に行きました。

美術館も映画館と同じく、私が一人でぷらっと行く場所の一つです。

すいている美術館だと、曜日と時間帯によっては広い展示室に私一人の時もあって、そんなときはとても贅沢な気持ちになります。

FullSizeRender

ゴッホとゴーギャンは一緒のアトリエ兼住居で同居していた時期があり、そこでゴッホは自分の耳を切り落とし、精神を病んで入院したあげく、数年後にはピストル自殺してしまうのです。

才能がありながら何らかの生きにくさを感じて死に至ったその心中を思うと、胸が痛みます。

「ある」ことはなんでも優位に働くわけではなく、「ある」ことが障害になって生きにくくなる切なさ。

このことで思い出したのが、東京大学と日本財団が行っている「異才発掘プロジェクト」。

突出した能力は「ある」けれど、現状の教育環境に馴染めず不登校になっている小・中学生を集めた取り組みです。

緻密な絵画を描いたり物理の知識が優れていたりと、才能がありながら今の日本では周囲と違うことで馴染めず、いじめられて生きにくい生活を送ることも…。

そのプロジェクトの参加者が「自分らしく生きていい」と気づく瞬間を取材した番組を見て、そんな当たり前のことが当たり前の世の中になれば、誰もがみんな生きやすくなるのに、と。

そのために、私には何ができるんだろう?


ブログの整理も、人生の整理も、根っこは一緒。

このブログも初めて半年。

112本アップすることができました。

当初、書く内容はあまり制限せず、大まかな方向の中で書きたい内容を日々綴ってきました。

読み返してみると、自分が関心を持ってきた変遷も面白いですね。

でも半年たち、一度振り返ってカテゴリーを整理し、分類し直すことにしました。

私自身の方向性や偏りを整理するのはもとより、少しでも読みやすく、何かの気づきを先へ繋げるために。

このことは、実際に自分が進む方向についても同様です。

大きく方向は定めつつも、時に立ち止まって、自分の行きたい方向とのずれを調整し、また進んでいく。

進みたい方向と内容がずれてきたからといって単純に元に戻すだけでなく、立ち止まり、もしかしたら「ずれた方向」に進む方がより良いかもしれない、と自分自身に問いかけては判断し、方向を決めていく。

その繰り返しですね。

仕事も人生も…。


センター試験の前は、共通一次試験だった。

私が高校3年生の時受験したのは共通一次試験。それも、5教科7科目から5教科5科目に変わり、大きく制度が変更された年でした。

一番大きく変わったのは、今まで1校しか受験できなかったのが、2校(最大3校)受験することができるようになったことでした。

受ける学校が増えれば合格する機会が増えると考えるのは考えが甘く、前例のない受験体制に、受験の現場は大混乱。

前の年の倍率なんて何の役にも立たない訳で…。

しかも、大学によって前期後期が決まっていたので、どこでも2校受けられるわけではなかったのです。

そんな中で何より大変だったのが、共通一次を受ける前に2校とも願書を出さないといけないという、今では考えられない制度でした。

試験の翌日自己採点をしていた教室で、共通一次を失敗し、願書を出した大学2校とも、受験さえできずに不合格が確定してしまった同級生の背中は、今でも忘れられません。

結局翌年から、それぞれの大学が日程をA・Bに分けるようになったり、共通一次が終わった後の自己採点を見て受験校へ願書を出せるようになったり、毎年コロコロと制度が変わったあげく、「センター試験」と呼ばれる試験に変わったのでした。

今では、私立大学の入試でもセンター試験の受験結果を利用する選考が設定されていて、息子の通う普通高校でも、学年全体にセンター試験の受験が促されていました。

私は、「共通一次」を思い出すたびに、あのとき失敗した同級生の姿を思い出します。

普段は温厚で成績優秀だった彼は、その後私立大学に進み、卒業後地元で一番の新聞社であり民放放送局である企業に入社しました。

初めは記者志望だったそうですが、後に夕方のローカルニュース番組のメインキャスターとして活躍し、県内で知らない人はいないほど慕われるアナウンサーになりました。

まさに「人生何がどう転ぶか分からない」ですよね。

そして、受験生たちのこれからの人生だって、何が起こるか分からない。

だからこそ、上を向いて進んでいってほしいのです。


「勝ち組」も「負け組」も、みんな仲良し。

SMAP、とうとう解散しちゃいましたね。

1年間、ファンやマスコミを始め日本中、また世界中の人を巻き込んだニュースでしたが、年の終わりとともにさみしい幕切れとなりました。

そんな中、タモリが元旦のスポーツニッポンに、SMAPへの思いを直筆でつづったメッセージを寄せていました。

その中にあった「人生に勝敗なんてない」という言葉。

奥が深いですね。

世に言われる、「勝ち組」「負け組」

話題とすれば面白いのでしょうが、人生という長いスパンで考えたとき、何かが勝ちで何かが負けなんてことはないのです。

それぞれに大切な人生があるだけ。

働くことを中心に考えると、結婚して子供がいて実家が遠い私は、独身の実家暮らしの方がうらやましかった。

家事育児のスキを縫って働きながらも、仕事は別問題。求められることがあり、自分でもそれを目指してしまうことに、息苦しさを感じていました。

でもどうしても結婚したい人も子供が欲しい人もいて、その方達からすれば、結婚もして子供までいるのに仕事までこなそうなんて、と考える方もいたはず。

結局何をもって「勝ち」なのか「負け」なのか。

そんなことやっぱり意味がない。

「どうしても人間は比べたがる」けれど、自分の人生に自信を持ち、そして周りの方の人生を尊重して生きていく、そんな世の中にしていきたいですね。


人生に無駄なんてない、のです。

個人事業として仕事をしていて大変と言えば、会計処理。

半年分だから、と手を抜いていたのですが、やっと年越し前から本腰を入れ始めました。

私は以前簿記の資格を取って、会計事務所で働いていたことがあります。

子育てが少し落ち着いたので長く働ける仕事に就こうと思った時、どんなに小さな会社でも経理処理は必要だから簿記ができたら仕事に困らないのでは…と考えて簿記の資格を目指したのです。

でもやっとの思いで資格を取って会計事務所で働きだしてみると、働いている方々はみんな、私とは違い数字に対してセンスのある方ばかり。

がんばってもなかなか理解しきれないことが多く…。

結局、子供が続けて病気になり休みが続いたことを理由に、会計事務所は解雇されてしまいました。

あれから早10年。意外なことに、この会計事務所での経験が、フリーで仕事を始めるのを迷っっていた私の背中を押したのです。

迷い続ける日々の中で、個人事業や中小企業の会計処理を経験していたことが、自分だけでもこじんまり仕事を回していくことができるかも、と私に自信をくれました

会計事務所で働いていた当時は、数字にセンスのない自分に滅入ることも多かったし、仕事を失った時には、自分には価値がないと思う程自信を無くしました。

だから、経理の仕事へのイメージは散々だったのですが、そんな経験が反対に自分を後押ししたのです。

今思えば、あの経験があったから、今の自分がいる。

人生に無駄はないですね。

その時は無駄なのかも…と感じていることも、先々その経験から何かが生まれることもあるのです。

さぁ10年前の記憶を駆使して、後ひと踏ん張り。


ルイボスティーを買ってみた。

ルイボスティーを買ってみました。

IMG_1374

女性ばかりの事業所に仕事でお伺いした時に出していただいて初めて飲みました。

前から「美しくなるお茶」として名前を聞いたことがあったのですが、その翌日おでこがつるっとしたような気がして、自分でも買ってみることにしました。

効能を調べてみると、ノンカフェインなうえ、抗酸化作用があるそうで、とりわけミネラルが豊富なお茶なのだとか。

ネット上では、他にも安眠や二日酔いに効くとかぜんそくやアトピーに効くとか、お茶の効果が直結しているかは分からない効能も出ていますが、個人差もありますよね。

まぁとにかく、いつも飲んでいる紅茶の代わりに飲んで、少しはミネラル補給できればいいか…と買って飲んでみることに。

そもそもハーブティーが苦手なので、珍しいお茶に自分でチャレンジすることはなかったのですが、出していただいて飲んだことがきっかけになりました。

きっかけを行動へ繋げることは何か結果を生むのでは…(^^)

最近、まとめサイトやステマ広告など、ネット情報の信憑性が話題に上ることが多いです。

情報に対する向き合い方を意識することは大切です。情報に振り回されず、それでいて情報を上手に活用できるといいですね。

今回は自分で試して情報を判断してみようと思います。