風習の世界では、男女の機会はまだまだ均等ではないのです。

私は、自分が女でよかった~とは思っていませんでした。

別に今話題のLGBTではありません。

育てられる間の周囲の言葉や反応からそう感じたのかもしれませんが、なんとなく、女で損した気持ちがありました。

最近はその気持ちは薄れ、私は私、と気にならなくなっていましたが、祖母の法事に出て、祖母の葬儀の時に「女って損だな」と思ったことを思い出しました。

私は、故人への思いが強い時こそ、お別れする出棺の時に何かしたくて、棺を担がせてもらえないかな、と思っていたのです。

でも当然「では、男性の方に…」となります。

「私も送りたいのに」と男じゃないことを悔やんだ瞬間なのでした。

実家は、男性が少ない女系家族で、その時は、夫と息子2人も棺を担いでくれました。

そうとなれば、大好きだった祖母を、夫と息子たちの手で送ることができてうれしかったのです。

しかも、自分が男だったら自分しかいないけど、女だったからこそ息子を2人産むことができたのだと思うと、不思議なものでした。

結局、何でも自分でやりたがりなところが、こんな場でも残念な気持ちを募らせているだけなのかも…。

以前に比べ、世の中男女の性差が出る機会は減ってきているし、みんなが「男も女もどっちもいい」と思う日も近いのかもしれないですね。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

four + seven =