新卒就活も既に本格化

2019年卒、つまり現大学3年生の就職活動は、去年に比べて急増したインターンシップへの参加を皮切りに、既に始まったような状況です。

大学も、独自のイベントを実施して就職活動を後押し。

3月の就職活動(広報活動)解禁前ということで、実質「企業説明会」を「業界研究」という呼び方で実施したり、学内へ多数の企業に集まってもらい、ブースを設営して合同説明会を実施したり、と既に企業との接点を作っています。

私も、これからしばらくは大学の就職支援の仕事が続きます。

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今週からは、名古屋市内の私立大学で終日履歴書添削。

面談時間が短く設定されているので、基本的な履歴書の第一印象をまずはチェックします。

文字の大きさや誤字脱字、「てにをは」の修正や記入間違いなど。

世間では、履歴書はパソコンで作成したものをメール添付することも増えましたが、大学新卒就活では、エントリーシートはWeb提出も増えたものの、履歴書はまだまだ手書き。

字が下手だと思う人も、読む人が読みやすいようとにかく「丁寧に」

その心掛けだけで字の印象は随分変わります。

時間の余裕をもって書くという準備もプラスに働きます。

そうして作られた履歴書を、私も心して読ませてもらい、よりその学生さんの良さが伝わるよう面談していきます。


ここからロシアのカザンまで、何日かかる?

長男とスカイプで話をしていると、同じ寮にいる留学生に日本から荷物が届いたという話題に。

「何か欲しいものある?」

と聞くと、「醤油が高いから欲しい」とのこと。

他にも、「お好み焼きを作ったけどソースがなくて、お好み焼きにならなかった」とも。

「食材は手に入るけど、調味料を送って欲しい」という言葉に、もう留学生活も半分過ぎてしまったし、この機会にチャレンジしてみようと思いました。

どうやって送ろうかと調べてみると、かかる日数や送料、確実性(これ大切)をふまえて、EMS(国際スピード郵便)か。

まずは郵便局で箱を買って送り状をもらいました。

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間違えるといけないので一応2枚。

そして、欲しいと言っていたものを中心に買い出し。

しょうゆ・ソース・みそ・インスタントラーメン・もち・のりなどなど。

隙間に、おやつでおなじみ「おにぎりせんべい」や「しるこサンド」「ベビースター」の小袋も詰めてみました。

とりあえず箱に詰めてみて、入る量も確認。

そのあと、入れたものとその重さや値段を送り状に書かないといけないので、送るものを英語に訳したり重さを測ったり…。

初めて送る私にとって、大仕事です(^^;)

何とか荷造りをして郵便局の窓口へ持ち込んだのですが、ここで、国名について窓口のおじさんとひと悶着。

ロシアなのかタタールスタンなのか。

カザン市は、ロシア連邦の中の、タタールスタン共和国の首都なのです。

電話でどこかに確認してもらって、「ロシア」と記入することに。

やっとのことで、送ることができました。

4日で着くと書いてはありましたが、ネット上には2週間かかったとのコメントもあり、どうなんでしょう。

あとは待つばかり。


自分でも気づいていなかった「受け止め方」

性別も年齢も職業も肩書も、性格や価値観も、本当に様々な方と接する機会が多い仕事なので、私は自分では受け止め方に偏りがないと思っていました。

でも実際に、小さな部品工場の社長さんが同世代の女性だったとき、「へぇ~、珍しいな」と感じました。

私の中で、女性社長は「当たり前」ではなかったのです。

障がい者就労継続支援施設で大声を上げた通所者の方を前にどう対応していいか分からなかったとき、障がい者も自分と変わらないと思っていたのに、偏見の種みたいなものが自分の中にもあることに気づきました。

もちろん、そんな種は無いに越したことはないのですが、そこは現実の話。

価値観だって、「そうは思わないんだけど」と話を聞いて思うこともあれば、「この方の考え方は私に似ている」と思うこともあります。

それぞれ大切なのは、「私はそう感じた」「私はそう思う」という自分のフィルターがかかっていることを意識することです。

どんなにフラットな気持ちで受け止めたと思っていても、受け止め方には自分のフィルターがかかるのです。

このところ、自分でも気づいていなかった「受け止め方」を体感し、いろいろな人と接して様々な行動を経験することは大切だと、改めて気づきました。

同じ顔ぶれ同じ行動範囲では、自分の反応が当たり前になって気づかなくなります。

まだまだ私にも「自分らしい」受け止め方があることに気づき、その点を分かったうえで、できる限りフラットな気持ちで関わることの大切さを再認識した出来事でした。


立春は、「春」というより一番寒い季節

今日は立春。

お正月からまだ一ヶ月しかたっていませんが、旧暦でいえば新しい年の始まる季節。

天気もよかったので、豊川稲荷に行ってきました。

うちは名古屋鉄道エリアなので、今回はのんびり名鉄で豊川稲荷駅まで。

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駅前では狐の像がお出迎えです。

天気は良かったのですが、何しろ風が冷たい(>_<)

そんな冷たい風の中、細い通りをしばらく歩くと参道につきました。

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ここでは「こまいぬ」ではなく、きつねさんが鳥居の両脇に並んでいます。

鳥居があるから神社と思いがちですが、三大稲荷の一つである豊川稲荷は、実は「妙厳寺」というお寺なのです。

その証拠に、お昼過ぎには境内の鐘つき堂でお坊さんが鐘をついていました。

何とも不思議な空間を本堂へと進みます。

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本堂内には「立春大吉」のお札が貼ってあり、なんだかいい年になりそうな気持ちに(^^)

奥の院までいけば、狐の石像がびっしりと置かれたエリアもあります。

いつ来ても、私はここだけ空気が違うように感じます。

でも霊感はないので、単なる雰囲気だとは思いますが、大きさの違う狐の石像が隙間なく置かれた光景は壮観です。

そうしてぐるっとお参りをし、気分もすっきりした後は、門前で名物の稲荷ずしを食べて帰途につきました。

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外へ出れば、街角での出会い

このところ、事業所へお伺いして面談する機会が続き、あちこち移動する日が続いています。

どちらかというと車で出かけることが多かったのですが、今日は地下鉄。

名古屋にある鶴舞駅の近くでした。

その事業所へ向かう道すがら、交差点にある事務所っぽいドアへ、人が次々に入っていきます。

不思議に思って中をのぞくと、なんとパン屋さん!

5人くらいしか入れない店内に、パンがたくさん並んでいます。

行きはとりあえず通り過ぎたものの、帰りは気になる…。

お昼時、中には人がギュウギュウ詰めなので、いったんは駅へと通り過ぎたものの、鶴舞駅にはなかなか降りないし…と戻って店内へ。

外から見ていた通り、中は狭く、並んでいる人で棚のパンもよく見えません。

それに種類がとても多くて、それぞれ名前が書かれた札が並んでいるのですが、それもなかなか見えない。

ともかく順番を待ち、今日のお昼のキッシュと、明日の朝のパンと…と選んでいると、前に並んでいた30代の男性のお客さんが、次々に注文していきます。

注文が止まらず、一体どれだけ?と思っていると、お会計5千円越え(◎_◎)

実はそのお店、「スーリープー(SURIPU)」という有名なパン屋さんだそうで、遠くから買いに来る人もいるとのこと。

知らなかった(^^;)

もともと来る人を待つ仕事が好きではない私としては、そんなお店との出会いも楽しい外回りの仕事でした。


「家業を継ぐ」という選択

雪が舞う中、キャリアコンサルティングでお伺いした事業所では、いろいろな事情を経て、父・兄・弟の家族3人が同じ会社で働いていました。

家族と一緒に働くといえば、週一回お伺いしている大学でも、親が自営の学生とその話題になります。

「家を継ぐの?」と聞くと、「まだ親とははっきり話していないけど…」という学生も。

大学生ともなれば、親は何も言わずともいろいろと考えているようです。

就職活動をして企業へ就職はするけれど、将来的には家業を継ぐことを考えているという話。

じゃあどんな方向へ就職活動していくか、というやりとりに。

家業を見て育ったとはいえ、その時点では子供の目線。

実際に事業として成長させ、従業員の生活を意識するとなると、話は別です。

そのために必要なことは何か、一緒に考えていきます。

近い業界での営業経験なのか、全く異なる業界の視点なのか、新しい事業を形にする経験なのか…。

自分も一緒に働き、先々経営にも関わっていくという視点を持って考え、できることならその視点で親と話すことを勧めています。

やはりその道のプロですし、「子」が「同志」になることを親にも実感してもらうことは大切です。

親はいつまでも子供のままだと思って、子供がそんなことを考えている実感がない場合が多いのです。

子は親の経験や実績をもとに学び、親は子の新たな視点と思いを持って取り組む姿勢を尊重する。

そんな関係で家業を成長させていってほしいと思います。


ジョージアの空の下

冬休み期間、旅行に出ていた長男から、無事大学のあるカザンに戻ったと連絡がありました。

不思議なもので、遠いロシアのカザンに戻ったと聞いて、なぜかホッとしました。

いやいや、カザンも遠い遠いロシアなのに…。

私も感覚がマヒしています。

この10日間、アゼルバイジャン・アルメニア・ジョージア・モスクワと旅をした長男。

日本で、ジョージア出身の栃ノ心が優勝したことを伝えると、出身の街へも立ち寄ったと言って、写真を送ってくれました。

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「きれいでいいところだった」と。

当然ながら、日本にいながら海外の古い建物や遺跡を直接見ることはできない訳で、この写真を見て、あらためて直接見た長男がうらやましい。

海外の古いお寺(教会)もすごいですね。

長男はこの光景を前に、何を感じたのか?

そんな話もゆっくりしてみたいです。


私にとっての「メンター」

久しぶりに浜松へ行って懐かしかった…と言って思い出すのは、新入社員の頃、机が向かい合わせだったMさんのこと。

その方は、当時40代半ばの男性の方でした。

同じ山梨県出身なうえ、出身大学も同じだったこともあり、私を子分のようにかわいがってくれました。

まだワープロが主流の時代に、パソコンのエクセル機能をMさんに教えてもらいながら身につけたことで、私はその後の仕事でパソコンに自信が持てました。

仕事だけでなく、仕事帰りに一人暮らしの私をお寿司屋さんへ連れて行ってくれ、「社会」を学ばせてくれました。

取引先との接待で、スタンドマイクを振り回し、世良公則さんの「あんたのバラード」を熱唱していた姿は今でも忘れられません。

Mさんは典型的「B型」と言われ、周囲は振り回されることも多かったのですが、私にとっては、仕事に対する考え方や姿勢、分からない仕事の対応など、とても頼りになる存在でした。

私がその会社を辞め、結婚し長男を出産した半年後、Mさんが病気で亡くなったことを知らされました。

まだ生まれて半年の長男を伴って浜松での葬儀に向かったのですが、出棺に間に合わず…。

「遅いよ~」と空から言われているような気がしました。

働く上で「メンター」の存在が話題に出ます。

制度として設定している企業もあります。

メンターは指導や助言をする存在なのですが、精神的な支えとなることも大切な役割です。

仕事、会社、そして社会を客観的に捉え

相談すると私の仕事も客観的に評価してくれ

社会で働くことや、仕事に取り組む姿勢の見本となる

私にとって、Mさんはそんな存在でした。

Mさんがこう言っていたな~、なんてことを、25年以上たった今でも思い出し、私は先へ進んでいます。


私のキャリアの出発の地「浜松」

晴天続きでも、今日はちょっと遠方へ、という日には雨が降ってばかりで、すっかり雨女の私。

東京は雪で交通網が大混乱というニュースを聞いて、翌日の朝早くからのガイダンスが心配になり、前日中に浜松入りすることにしました。

新幹線で浜松に着き階段を下りていくと、どこからともなくピアノの音色が。

階段横に「KAWAI」のブースがあり、通りすがりの若い男性が、透明なグランドピアノを弾いていました。(XJapanのYoshikiモデルですね)

さすが音楽の都市「浜松」

ヤマハもカワイもローランドもありますから。

(名古屋へ帰るときは、年配の男性が弾いてました)

そんなところにも懐かしさを感じつつ、翌日は高校の就職ガイダンスに。

お伺いした高校は、元々女子商業だったそうですが、今は野球部にも力を入れています。

中には愛知出身で、寮生活を送りながら野球をがんばっている生徒さんもいました。

トランポリン部という珍しい部も!

そのガイダンスの中で、かつて私が新入社員の頃、パソコンと格闘したエピソードをお話しているのですが、そのまさに働き始めた場所「浜松」で高校生に向かってその話をしようとは…。

浜松を離れたときには想像もつかないことでした。

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帰りには「まるたや」のチーズケーキをおみやげに。

久しぶりに、とっても濃厚なこのチーズケーキを食べ、よく買って食べていた浜松での日々を思い出しました。


日本で働こうとしている留学生たち

毎週お伺いしている大学には、留学生が年々増えてきています。

中国・ベトナム・タイなどを中心に、中にはウズベキスタンから留学している学生もいます。

昨日もベトナム出身の女子学生と面談。

4年生なので就職の話には力が入ります。

「もし卒業までに就職が決まらなくても、帰国しないで日本で就職活動したい」とのこと。

留学生は「留学ビザ」で滞在しているので、卒業後は、就職が決まった企業からいただいた書類とともに手続きし、「就労ビザ」に切り替える必要があるのです。

でも、卒業までに就職が決まらなかった場合、手続きをすると「短期滞在ビザ」で最長半年間ビザが延長され、その間は日本で就職活動することもできます。

日本での外国人就労については、最近よく話題に出ます。

「外国人実習生への賃金未払い」などは、テレビでも取り上げられて話題になっていました。

今後、観光だけでなく、日本に働くために来る外国人が増えるにつれ、多くの場でより多くの問題が出てくると思います。

根本的に、日本は島国ですから、他の国の人が流れ込んでくるということを想定していないですし…。

理由はさておき、「日本で働きたい」と語る彼女の思いをまずは結果に繋げられるよう話をし、面接の練習をしているうちに、元気のなかった彼女も徐々に笑顔に。

その笑顔で働く彼女たちを、日本の社会はどう受け入れていくのでしょうか。

考えさせられますね。