「家業を継ぐ」という選択

雪が舞う中、キャリアコンサルティングでお伺いした事業所では、いろいろな事情を経て、父・兄・弟の家族3人が同じ会社で働いていました。

家族と一緒に働くといえば、週一回お伺いしている大学でも、親が自営の学生とその話題になります。

「家を継ぐの?」と聞くと、「まだ親とははっきり話していないけど…」という学生も。

大学生ともなれば、親は何も言わずともいろいろと考えているようです。

就職活動をして企業へ就職はするけれど、将来的には家業を継ぐことを考えているという話。

じゃあどんな方向へ就職活動していくか、というやりとりに。

家業を見て育ったとはいえ、その時点では子供の目線。

実際に事業として成長させ、従業員の生活を意識するとなると、話は別です。

そのために必要なことは何か、一緒に考えていきます。

近い業界での営業経験なのか、全く異なる業界の視点なのか、新しい事業を形にする経験なのか…。

自分も一緒に働き、先々経営にも関わっていくという視点を持って考え、できることならその視点で親と話すことを勧めています。

やはりその道のプロですし、「子」が「同志」になることを親にも実感してもらうことは大切です。

親はいつまでも子供のままだと思って、子供がそんなことを考えている実感がない場合が多いのです。

子は親の経験や実績をもとに学び、親は子の新たな視点と思いを持って取り組む姿勢を尊重する。

そんな関係で家業を成長させていってほしいと思います。


ジョージアの空の下

冬休み期間、旅行に出ていた長男から、無事大学のあるカザンに戻ったと連絡がありました。

不思議なもので、遠いロシアのカザンに戻ったと聞いて、なぜかホッとしました。

いやいや、カザンも遠い遠いロシアなのに…。

私も感覚がマヒしています。

この10日間、アゼルバイジャン・アルメニア・ジョージア・モスクワと旅をした長男。

日本で、ジョージア出身の栃ノ心が優勝したことを伝えると、出身の街へも立ち寄ったと言って、写真を送ってくれました。

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「きれいでいいところだった」と。

当然ながら、日本にいながら海外の古い建物や遺跡を直接見ることはできない訳で、この写真を見て、あらためて直接見た長男がうらやましい。

海外の古いお寺(教会)もすごいですね。

長男はこの光景を前に、何を感じたのか?

そんな話もゆっくりしてみたいです。


私にとっての「メンター」

久しぶりに浜松へ行って懐かしかった…と言って思い出すのは、新入社員の頃、机が向かい合わせだったMさんのこと。

その方は、当時40代半ばの男性の方でした。

同じ山梨県出身なうえ、出身大学も同じだったこともあり、私を子分のようにかわいがってくれました。

まだワープロが主流の時代に、パソコンのエクセル機能をMさんに教えてもらいながら身につけたことで、私はその後の仕事でパソコンに自信が持てました。

仕事だけでなく、仕事帰りに一人暮らしの私をお寿司屋さんへ連れて行ってくれ、「社会」を学ばせてくれました。

取引先との接待で、スタンドマイクを振り回し、世良公則さんの「あんたのバラード」を熱唱していた姿は今でも忘れられません。

Mさんは典型的「B型」と言われ、周囲は振り回されることも多かったのですが、私にとっては、仕事に対する考え方や姿勢、分からない仕事の対応など、とても頼りになる存在でした。

私がその会社を辞め、結婚し長男を出産した半年後、Mさんが病気で亡くなったことを知らされました。

まだ生まれて半年の長男を伴って浜松での葬儀に向かったのですが、出棺に間に合わず…。

「遅いよ~」と空から言われているような気がしました。

働く上で「メンター」の存在が話題に出ます。

制度として設定している企業もあります。

メンターは指導や助言をする存在なのですが、精神的な支えとなることも大切な役割です。

仕事、会社、そして社会を客観的に捉え

相談すると私の仕事も客観的に評価してくれ

社会で働くことや、仕事に取り組む姿勢の見本となる

私にとって、Mさんはそんな存在でした。

Mさんがこう言っていたな~、なんてことを、25年以上たった今でも思い出し、私は先へ進んでいます。


私のキャリアの出発の地「浜松」

晴天続きでも、今日はちょっと遠方へ、という日には雨が降ってばかりで、すっかり雨女の私。

東京は雪で交通網が大混乱というニュースを聞いて、翌日の朝早くからのガイダンスが心配になり、前日中に浜松入りすることにしました。

新幹線で浜松に着き階段を下りていくと、どこからともなくピアノの音色が。

階段横に「KAWAI」のブースがあり、通りすがりの若い男性が、透明なグランドピアノを弾いていました。(XJapanのYoshikiモデルですね)

さすが音楽の都市「浜松」

ヤマハもカワイもローランドもありますから。

(名古屋へ帰るときは、年配の男性が弾いてました)

そんなところにも懐かしさを感じつつ、翌日は高校の就職ガイダンスに。

お伺いした高校は、元々女子商業だったそうですが、今は野球部にも力を入れています。

中には愛知出身で、寮生活を送りながら野球をがんばっている生徒さんもいました。

トランポリン部という珍しい部も!

そのガイダンスの中で、かつて私が新入社員の頃、パソコンと格闘したエピソードをお話しているのですが、そのまさに働き始めた場所「浜松」で高校生に向かってその話をしようとは…。

浜松を離れたときには想像もつかないことでした。

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帰りには「まるたや」のチーズケーキをおみやげに。

久しぶりに、とっても濃厚なこのチーズケーキを食べ、よく買って食べていた浜松での日々を思い出しました。


日本で働こうとしている留学生たち

毎週お伺いしている大学には、留学生が年々増えてきています。

中国・ベトナム・タイなどを中心に、中にはウズベキスタンから留学している学生もいます。

昨日もベトナム出身の女子学生と面談。

4年生なので就職の話には力が入ります。

「もし卒業までに就職が決まらなくても、帰国しないで日本で就職活動したい」とのこと。

留学生は「留学ビザ」で滞在しているので、卒業後は、就職が決まった企業からいただいた書類とともに手続きし、「就労ビザ」に切り替える必要があるのです。

でも、卒業までに就職が決まらなかった場合、手続きをすると「短期滞在ビザ」で最長半年間ビザが延長され、その間は日本で就職活動することもできます。

日本での外国人就労については、最近よく話題に出ます。

「外国人実習生への賃金未払い」などは、テレビでも取り上げられて話題になっていました。

今後、観光だけでなく、日本に働くために来る外国人が増えるにつれ、多くの場でより多くの問題が出てくると思います。

根本的に、日本は島国ですから、他の国の人が流れ込んでくるということを想定していないですし…。

理由はさておき、「日本で働きたい」と語る彼女の思いをまずは結果に繋げられるよう話をし、面接の練習をしているうちに、元気のなかった彼女も徐々に笑顔に。

その笑顔で働く彼女たちを、日本の社会はどう受け入れていくのでしょうか。

考えさせられますね。


長男の冬休み

ロシアへ留学中の長男は、1月いっぱい冬休みなので他の国へ旅行に行くとのこと。

去年はギリシャにしようかとも言っていたのですが、お正月に話した時は、どこへ行こうか迷っていると。

結局、18日から「コーカサス3国」と「モスクワ」に出発することになりました。

モスクワはともかく、「コーカサス3国」と言われても、私にはどこの事か分かりません…。

早速グーグル検索。

アゼルバイジャン・ジョージア(グルジア)・アルメニアのことだそうです。

黒海とカスピ海の間にあって、地図を見ると小さい3国がかわいくまとまっています。

古くから東西南北交通の要所で、民族が往来して交易で栄えたり、異民族に侵入されたりと、複雑な歴史を歩んだ地域なのだとか。

世界史が大好きだった長男と、世界史を睡眠時間にしていた私とでは、この国々に対して抱く感情は違うのかも…。

調べると旅行会社のツアーも結構ありました。

その情報を読むと、コーカサスの山々の自然が豊かな中、シルクロードの交易路の街並みや古い教会などが残っていて、写真もいい感じ。

ロシア語圏なので、少しは会話できるようになった長男には実践の場にもなるのかも。

18日にアゼルバイジャンのビザを取ったと知らせが入りました。

なんとこの国のビザは、2年ほど前から、トルコ人と日本人だけ、空港で無料でもらえるとのこと。

トルコ人はともかく、どんないきさつで日本人のビザが無料なのか、アゼルバイジャンと日本の関わりも知らないし、世界には知らないことだらけです。

長男は、約10日間の行程の前半は宿泊地を押さえて出発しました。

でも、国の様子がよく分からない上に一人旅ということで、私にとっては、うらやましさ半分、不安半分の日々を過ごすことになりそうです。


私の冬休み<東京編>

大阪で元気をもらった翌日は東京へ。

新幹線が米原付近の雪で少し遅れ気味だったので、予定より一足早く家を出ました。

晴れ渡る富士山を横目に見つつ、2時間もかからずあっという間の東京です。

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とてもよいお天気だったので、観光客に混ざって東京駅舎をパチリ

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天気がいいと高層ビルも映えます。

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東京での仕事中、「スクールソーシャルワーカー」の話題がでました。

「スクールソーシャルワーカー」は、それぞれの子供に向き合うだけでなく、その家族や教員の他、様々な機関と連携を取りつつ、関わる環境の中で問題解決を図る仕事です。

虐待や不登校など、活躍の場は多いのです。

今はまだ配置されている学校も少ないのですが、今後教員の働き方が調整され、問題解決に対する意識の変化が進むと、活躍の場も広がると思います。

実はキャリアコンサルタントも、個別面談だけでなく、環境への働きかけは大切な役割として示されています。

ただ相談に来る相手を待つだけでなく、自分から働きかけて関係者の連携や調整に役立つよう関わっていくことが求められるのです。

と、新たな方向性を考えつつも、仕事は終わり。

おみやげに、限定販売していた「パンダ」の東京ばな奈を。

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仕事にはしっかり向き合いつつも、それ以外で楽しみが続いた週末。

年末年始は特に遠出もしなかった私にとって、一足遅い「冬休み」となりました。


私の冬休み<大阪編>

13日は大阪、14日は東京で仕事があり、それぞれ日帰りで西へ東へ新幹線移動。

折しもこの週末、世間はセンター試験真っただ中。

去年を振り返ると、まだまだ生々しく次男の受験の様子が思い出されます。

結局、毎年毎年、センター試験の週末は雪模様。

今年も北陸を中心に雪で交通手段が乱れる週末となりました。

東海道新幹線も、北陸から雪が吹き込む「米原」周辺はいつも徐行しがちです。

天候を心配したものの、無事週末を終えることができました。

電車に乗るのが大好きな私は、電車移動は苦になりません。

今回も新幹線を堪能(^^)

13日は、大阪駅近くのスカイビル。

晴れ渡り、大阪の街並みがよく見えました。

このスカイビル、2つの棟の間の屋上部分が繋がっていて、「屋外円形展望台(空中庭園)」があります。

下から見るとこんな感じ。

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結構寒かったけれど、展望台へ上る人が列を作っていました。

大阪の仕事の後には、名古屋で一時期仕事をご一緒した友人と、一年振りに再会。

近況に始まり仕事のあれこれまで、話は尽きず…。

本当に楽しい時間を過ごし、力をもらって愛知へ戻りました。

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おみやげに、大阪と京都で限定販売のグリコの高級ブランド「バトンドール」いただきました(^▽^)/


子供の頃の習い事を振り返って「分析」してみる

うちの子供たちは小学生の頃、少林寺拳法を習っていました。

その当時同じ道場で練習していた次男の同級生が、「少林寺拳法の世界大会に優勝し、世界一に輝いた」と新聞に!

5歳上のお兄ちゃんと一緒に、とりわけ熱心に稽古をしていたのは知っていたものの、さすがにすごい!

次男は黒帯までいかずに辞めてしまったのですが…。

その話題をきっかけに、次男と今までの習い事について話していました。

小さい頃の習い事は、始めるのは親や兄弟がきっかけの場合も多いです。

だから、本人の「興味」や「やる気」は、必ずしも反映していないと思います。

でもその中で、好きで通うのが楽しかったものや、一生懸命取り組んだものなどは、その人の「興味のもと」や「強みのもと」になっていることがあります。

もちろんその後、思春期を経て成長し、様々な面で変化はするものの、習い事の興味と同じような方向に興味を持ち続けていたり、取り組む姿勢が同じだったりすることも多いのです。

次男も、時期をずらしていくつか習い事をしていたので、それぞれどう思っていたのか改めて聞いてみました。

傍目には、習い事全般、卒なくこなしていた次男でしたが、本人の中では違いがあるようで。

そろばんやスイミングはイマイチだったけど、少林寺とピアノは結構よかったと。

その分かれ目は何なのか…。

ジャンルという訳でもないし、指導方法の違い?それとも環境?

この違いをもっと掘り下げたいところだけど、身内はうまくいかない。

何かしつこいよ、という視線を向け逃げられてしまいました(^^;)

こんなところからも、もっと自分の「らしい」ところを理解してほしいものです。


ひとの人生、1年間を補償することなんてできない。

「大阪大学が去年の入試のミスで、不合格とした受験生30人を合格させた」というニュースが報道されていました。

入試以降指摘があったにもかかわらず、3回目の指摘で、次の入試シーズンとなった今、やっと訂正されることになったのです。

大阪大学が不合格になったからと、他の大学に入学した学生は2年生に転入できるとのこと。

浪人した受験生の予備校費用や、別の大学に入学した人への引っ越し費用も補償するそうです。

ニュースを見た私は、次男にこの話題を出すことをためらいました。

去年の入試で、志望校は結果至らず他の大学へ進学した次男。

今では大学にも慣れ、友人も…。

その時間を戻って修正すると言われても、どうしたらいいのか。

身近にいる存在に置き換えて考えると、生々しくて、思いは複雑…心が痛みます。

短くも長い1年間。

それぞれの受験生はどのような日々を過ごし、どんな今を迎えているのでしょうか。

今まで2回も指摘を受けながら、訂正するという判断に至らなかった問題作成責任者。

そして、そんな状況を防げなかった大学の責任は重いと思います。

お金ではこの1年間の時間は補償できません。

いい知らせなのに、かえって悩む人もいるはず。

でも、運よくこの30人の替わりに合格した人もいる訳で、人生なんて何が起こるか分からないものです。