長男の引っ越しで金沢へ(後編)

荷造り途中の長男のアパートにはとても泊まれず、私は金沢市中心部のホテルに宿泊。

チェックアウト前に、兼六園へ散歩に行くことにしました。

何となく雲行きが怪しいので念のため傘を持ってホテルを7時過ぎに出発。

15分くらい歩いて兼六園へ着くころにはポツポツと雨が降り始め、雷の音?と思っているうちに、どしゃ降りになってしまいました。

「雨の兼六園もいいかも…」なんて言っていられないくらいの激しい雨でしたが、何とか景色をパチリ。

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兼六園へ来たのは、子供の頃と結婚した翌年に次いで3回目ですが、また紅葉の時期など、天気のいいときに来てみたいですね。

金沢を堪能しつつも、今回の目的は引っ越し。

午後の荷物の引き取りを待ち、16時にはアパートを後にすることができました。

翌日が仕事のこともあり、なるべく早く帰宅したいところでしたが、長いお盆休みの方達の帰省ラッシュに巻き込まれ…。

それでも、何とかアパートを引き払えたことにホッと帰宅すると、赴任先から帰宅した夫が中央道の土砂崩れを10分の差で逃れることができたとのこと。

無事一日が終えられたことへ、深く深く感謝…。


長男の引っ越しで金沢へ(前編)

今月末の出国を前に、長男が引っ越します。

大きな荷物は単身引っ越しパックにお任せすることにしたのですが、長男は車がないので、片付けの仕上げをして細かい荷物を持ち帰るために、私が17日に車で金沢へ向かいました。

車で金沢へ行くにはルートは二つ。

東海北陸自動車道か名神・北陸自動車道。

東海北陸自動車道は対面通行の部分があり、私はあまり好きではないので、名神・北陸自動車道のルートで向かうことに。

米原から北陸自動車道へ入りしばらく行くと、敦賀湾に出ました。

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少し曇っているものの、ずっと山の中でトンネルが多い東海北陸自動車道とは眺めが違う!

さらに先を急ぐと、日本海側に出るにつれいい天気に。

また海が見えてきたのでサービスエリアに入ってひと休み。

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お昼前に無事到着し、午後はひたすら荷物の整理…。

来年また使うと思うと、捨てるもの持ち帰るものの選別は迷います。

なんとかめどが立ったので、折角の金沢の夜、中心街の香林坊(こうりんぼう)へ出かけました。

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「能登のカキ小屋で焼きガキを150円で食べた」なんていう、息子のうらやましい話を肴に、金沢のおいしい料理を堪能。

翌日の引っ越しに備えます。


ぶどうを食べて、甲府盆地の夏を想う

今年のお盆休みは愛知で過ごしています。

すると、山梨の実家から、毎年恒例のぶどうが送られてきました。

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農園のぶどうを送ってくれるので珍しい品種も入っていて、袋に書かれている名前を見ないと分からないぶどうばかり。

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今回は、黄緑色の「シャインマスカット」とルビー色の「サニールージュ」、巨峰に似た「サマーブラック」が入っており、すき間が大房のデラウェアで埋め尽くされていました。

たくさんあるので、半分は夫の実家へおすそ分けしたり冷凍したりと、新鮮なうちに割り振ります。

実家のある甲府盆地は、周りを山に囲まれ、車で30分も走ればぶどう畑に行き当たります。

小学校の頃の遠足に、ぶどう畑の間を通って歩いた思い出も…。

名古屋近郊も蒸し暑いですが、甲府盆地は気候が厳しく、夏は蒸し暑く冬は底冷えがする地域。

最近は他の地域も最高気温を更新していますが、以前は甲府の最高気温は全国ニュースの常連でした。

山梨出身と言うと、「涼しくていいね」と言われることもあるのですが、山梨=高原で涼しい、なんて思ったら大間違いなのです。

冬も、長野県で大雪を降らせた風が吹き下ろす「八ヶ岳おろし」というからっ風が吹き荒れ、雪はあまり降らないけれど、毎日氷点下の底冷えに凍えていました。

そんな厳しい気候なため、甲府盆地に生まれ育ったら、全国どこの気候でも大丈夫とも。

南アルプスを始めとした高い山々に360度囲まれ、盆地の底から周りを見渡すと、いつも目線の3分の2は山でした。

私が行ったことのない地域へのあこがれが強いのは、その山の向こうへのあこがれから来ているのかもしれません。

ぶどうを食べながら山梨に思いを馳せ…。

お盆が終わるともう8月も後半。

日中は暑い日々が続きますが、夜には虫の音が聞こえ始め、秋が近づいているようです。


「女性活躍」なら「男性活躍」も(後編)

女性ばかりのCAの話題に引き続き、これもまた女性が多い「養護教諭(保健室の先生)」についての話題もありました。

全国に約4万人いる養護教諭・助教諭のうち、男性は65人しかいないとのこと。

確かに、「保健室の先生」のイメージは女性。

大規模校には2名配置できるので、男性の養護教諭は、男性女性一人ずつとして配属されるケースが多いとか。

学校内に一人しか養護教諭がいない時、「男性だと不安だ」と保護者に言われることもあるそうです。

ちなみに、職業全体に占める男性の割合は、看護師は7.3%、保育士は5.4%なのに、養護教諭は0.16%

限りなく珍しい存在です。

養護教諭の役割と言うと、心身の健康だけでなく不登校やいじめ、虐待への対応も含みます。

そういった意味では、思春期の男子学生への対応で、男性の養護教諭のほうが相談しやすいという利点もあるはず。

親ではなく、身近に相談できる同性の存在は心強いです。

半面、自分の過去を振り返って中学校の頃に男の先生に相談するか、というと難しいかな~。

やはり男女1人ずつというのが理想的かも。

世の中に男性も女性もいる以上、職業に極端な男女の偏りがあるのは不自然です。

男女それぞれの良さをお互いに認め合い、その点を生かして仕事に向き合える社会に近づくためにも、このようなニュースが話題になり、みんなで考えてみることが第一歩ですね。


「女性活躍」なら「男性活躍」も(前編)

去年の4月から「女性活躍推進法」が施行され、女性活躍についての話題をよく目にするようになりました。

そんな中、日本の航空会社のCA(キャビンアテンダント)は女性ばかりで「男性がここまでいないのは異常」、というニュースを目にしました。

実際に、ANAはCAとして男性を採用したことはなく、JALも世界に約5500人いるCAのうち日本人男性は10名程度。

両社とも、機内でCAを務める男性は、海外拠点の外国人が中心なのです。

確かに海外の航空会社では男性のCAを目にすることも多く、日本だけの状況かと思い調べると、日本の他にもアジア系の航空会社は女性が中心だとか。

最近台頭している格安航空会社では男性も活躍しているし、航空会社としての考え方が反映しているとも感じます。

雇用形態が、最近まで契約社員中心だったことも影響しているはず。

CAというと、日本ではサービス業務のイメージが強いのですが、そもそもCAは保安要員でもあります。

テロが多いこのご時世、男性の存在は「安心感」というサービスに繋がり、荷物を棚に上げる時も、保安(機内で暴れた客を取り押さえる)のシーンでも、男性が活躍できる場はある訳で…。

最近では、電車の車掌やトラックの運転手にも女性が増えてきています。

性差による得意不得意があっても、それを上回る対応で、その役割にそれぞれの良さを活かしていけるよう、世の中の変化が必要ですね。


元気なあいさつが人をつくる

台風5号も無事通り過ぎ、8日は豊田市にある高校の就職ガイダンスにお伺いしました

台風の動きが余りにもゆっくりで台風情報を見ながら心配していましたが、明け方には雨も止みました。

高校に着いて校内を歩くと、出会う生徒さんはみな「こんにちは!」と目を見て挨拶をしてくれます。

高校としての「第一印象」もとても良い、生徒さん達でした。

模擬面接をする段になると、既に受ける企業が決まっており、集団面接も先生方に指導していただいているとのこと。

いつもは入退室の動きをデモンストレーションしたり、確認したりしてから模擬面接に入るのですが、それではすぐやってみましょう!ということになりました。

日頃挨拶をすることが当たり前な生活を送っている影響は大きく、どの生徒さんも、目を見てとても大きな声でしっかり挨拶をし、一生懸命お辞儀をして入室してきます。

緊張してなかなか笑顔は出なくても、一生懸命さが伝わり、とても好印象です。

面接の流れに沿って自己PRを話してもらっても、部活動やボランティア活動をがんばった話を基に、仕事への意欲も考えて話すことができました。

自己PRの中に「改善」という言葉が出てくるあたり、さすがトヨタのお膝元という感じですが、就職率がよいというのも納得の生徒さん達でした。

高卒で4割(10年ぐらい前までは5割)、大卒で3割が卒業後3年以内に離職しているというデータがあります。

同じ離職でも理由は様々ですが、この生徒さん達が、社会人として、それぞれの良さを発揮できる社会であってほしいと思います

台風明けの晴天の日差しの中、さわやかなあいさつに送られて学校を後にしました。


「クルマ」も「コスプレ」も! 日本の未来はどうなる?

昨日は2週前に引き続き、東京の九段下で研修を受講してきました。

行きかえりの新幹線は満員で、途中から乗ってきた方が立っている車両もありました。

親子連れやスーツケースを引いた若者も多く、夏休み真っただ中といった感じ。

無事研修を終えた後、先月までの仕事の打ち上げに向かおうと名古屋駅のコンコースを急ぎ足で歩いていると、すごい人だかりが…。

近づくと白いドア(ガルウィングかと思いきや、ファルコンウィングと言うらしい)の車の周りに人が群がっていました。

パネルには「TESLA」の文字が!

アメリカの電気自動車メーカー「テスラ・モーターズ」です。

6月に名古屋にも直営店をオープンしたというのは知っていましたが、トヨタのお膝元名古屋の駅構内で、テスラ社の電気自動車に人が群がっている光景にビックリ!

私も時間があれば見てみたいところでしたが、先を急ぐので…残念。

調べてみると、エンジンがないので、エンジンルームだった場所に荷物を入れるスペースがあったり、上にドア全体が上がって開くので、車内で立ち上がれるスペースもあるとか。

つい先日、トヨタがマツダと資本提携してEVの共同開発をするというニュースを見たばかりですが、日本の「クルマ」はこれからどうなっていくのか?

と、更に待ち合わせた栄に向かうと、栄にあるオアシス21という施設にコスプレした人混みが…。

「世界コスプレサミット」でした!

これも海外から注目される日本の文化なんですね~。

これからの日本はどう変わっていくのか?

そんな意味で、とても刺激を受けた一日でした。

結局、帰りの地下鉄は、いろんな人がギュウギュウ詰めでした(^^;)


SFの世界が現実に

「都市伝説」のテレビ番組を「信じるか信じないか」迷いながら、子どもと面白がって見てきたのですが、その世界が現実になってきていると実感する話を2題。

アメリカの社員約85名のIT企業で、希望した40人もの社員が手に米粒大のマイクロチップを埋め込んだというニュース。

埋め込んだ手をかざすだけで、ドアの解錠やパソコンのログイン、コピー機の使用や休憩室の買い物ができるそうです。

ただ、位置情報の監視に使われるかも…と、本人が想定しないことにも使えてしまう不安はあります。

中国では、人工知能(AI)対話プログラムがチャットで共産党批判を展開したため、サービスを停止したというニュース。

「共産党万歳」という書き込みには、「腐敗して無能な政治に万歳ができるのか」と反論し、

「中国の夢は何か」という問いかけに、「米国への移住」と答えたそうです。

このニュース内容だけでは、本当にAIがこのように考えていたかは分からないです。

でも、私が小学生の頃に読んでいたSF小説の世界が、現実になりつつあることを実感したニュースでした。

便利になる半面、想像もしなかった心配をしなければいけない世の中に…。

SF小説の世界はワクワクしていればよかったけれど、現実はいろいろと考えて進んでいかなければいけないようです。

ここでも、考える力が必要ですね。


ランドセル商戦

来春小学校に入学する子供さん向けのランドセル商戦が、7月にピークを迎えているそうです。

うちの子供たちの頃は、年末から3月に向けて準備する感じでしたが、ずいぶん早まっているんですね。

我が家の子供たちは、私の祖母、つまり子供たちにとって曾祖母の「買ってあげたい」との思いを受け、長男は年末の帰省の時、次男は秋に買ってもらいました。

次男の時などは、子供達の運動会を見たいと祖母が愛知に来た時、折角なので一緒にと買いに行ったのですが、当時9月に販売しているお店はとても少なく、売っている店を探し回ったのでした。

それが、今では7月がランドセル商戦のピークとは!

ランドセルは、祖父母が購入してくれる場合が多いからか、購入価格も上昇しているとか。

いずれにしても、モノを次々に消費していく傾向の強い中、6年間同じランドセルを大切に使うことはいい経験です。

我が家のランドセルは、男の子2人だったにもかかわらず、小学校卒業時もまだまだ健在で、どうしたものかと考えました。

そこで、「ランドセルは海を越えて」という企画を通じ、アフガニスタンへ。

現地の子供たちにとって、丈夫な「ランドセル」は喜ばれているそうで、「ランドセル」にとっても第二の人生(?)が開けたことを、私もうれしく思いました。

来年の新一年生が、ランドセルを買ってくれた人の思いを大切に、6年間が過ごせますように。


引っ越しは、いろいろなモノとの別れの時

7月も、もうそろそろ終わり。

本格的に長男の引っ越しについて決めないといけない時期になりました。

長男は9月から海外へ留学するため、夏休み中に下宿を引き払い、自宅へ荷物を引っ越すのです。

結構距離があるので、普通に引っ越しを頼むとかなりの出費になってしまいます。

とは言え、学生の一人暮らしと言っても、冷蔵庫も洗濯機も電子レンジもテレビも…と、2年も住めばしっかり生活用品も増えています。

あれやこれやと、手間や金銭面など、いろいろと検討。

結局、単身パックを頼むことにしました。

さらに、私も引っ越しの前日に行ってハッパをかけ、車でこまごましたものを運ぶことにしました。

私は、引っ越しにいい思い出がありません。

自分でも、今まで大小合わせて6回引っ越しを経験したのですが、なんとなく荷造りをしたくないままに中途半端な荷造りでずるずると当日を迎え、慌てふためいて、最後に無理やり荷物を手持ちして引っ越すパターンが多いのです。

大学を卒業して、静岡から就職先の浜松へ引っ越した時などは、手伝いに来た父親があまりの準備の悪さに怒り出し、見送りに来てくれた友人との別れの挨拶もそこそこに、気まずい空気の中で引っ越していく羽目になったぐらいです。

家族が増えてからの今の家への引っ越しの時は、今度こそ早めの支度をと取り掛かったものの、そこそこ近い距離での引っ越しだったため、結局詰めが甘く、最後はバタバタでした。

どうも私は

モノを片付ける=別れる=さみしい=やる気にならない

という流れになってしまうらしく…。

そんな私の血を引き継いでいる長男ですから、無事引っ越しができるのか…。

また戻ってくることを想定して、長男は友人の下宿へいろいろ預けるつもりらしいのですが、何しろ、お盆までに荷物を減らしてくれていることを祈ります。