「eスポーツのプロ選手」という選択肢

ジャカルタ・アジア大会で初の公開競技となった「eスポーツ」

まだまだ何のこと?という人も多いでしょうが、対戦型ゲームを使ったプロゲーマーが勝敗を競う競技です。

日本はまだまだ普及していないですが、アメリカや韓国では高額賞金が出る大会も開催されています。

そして、現実に日本でも「eスポーツ選手募集」という求人があるのです。

大学4年生と面談していたら、就職活動を始めて最初に、eスポーツのプロチーム選手へ応募したとのこと。

残念ながら通過しなかったそうですが、その理由も本人曰く、「以前書き込んだTwitterで口が悪かったから」だとか。

いや~、時代は変わりましたね。

男子学生が、「任天堂」「バンダイナムコ」「スクウエア・エニックス」など、ゲームメーカーのエントリーシートを添削に持って来るのは以前からよくありました。

でもさすがに、「eスポーツのプロ選手」に応募という話は、高校生の頃にやっとゲーム機が普及し始めた私にとって、時代が変わったことを痛感する出来事でした。

AIの発達で無くなる仕事の話ばかり出ますが、こうして新たに生まれる職業もある訳で、キャリアを専門とするからには、否定するのではなく、情報を得ながら時代とともに進んでいく必要を感じます。

そもそも、ゲームはスポーツなのか?賛否両論ですね。

とはいっても、2019年の茨城国体では都道府県対抗の大会も開催され、近い将来、オリンピック競技になる可能性もあるのです。

相反して、WHO(世界保健機関)が「ゲーム障害」を疾患として認めたばかり。

いずれにしても、ゲームを無視しして今後は語れない時代に入ったようです。


信じること 信じ切ること

山口県周防大島町の山中で行方不明になっていた2才児が見つかり、発見したボランティアの方に注目が集まっています。

その方の言葉を聞いて実感したのは、「信じ切ること」の大切さ。

行方不明になってから3日。

毎日暑い日が続く中、私もそうですが、世間の大多数の方が生き抜くのは難しいのでは…と考えていました。

それは、発見後のお母さんの言葉にも表れていました。

そんな中、大きな声で名前を呼びながらの捜索。

タオルもアメも持参し、後のインタビューでは、必ず生きていると信じて山を登って行ったと。

「信じる」って難しい…。

信じたとおりにならないかもしれない訳で、その時のショックを思うと、ついついそのショックから自分を守る考えが浮かびます。

ダメかも…という可能性を考えることで、そうなった時のショックを和らげよう、と自然にしてしまうのが人間です。

私も、面談相手の力を信じてはいるのですが、信じ切れているかといえば、どうなのか。

現実との打算によって「信じてはいるものの、うまくいかないかも」と考える自分もいます。

半年前も、卒業1ヶ月前になっても就職先が決まらなかった学生さんが面談に来なくなり、もう在学中の就職は難しいかな~と。

それが、卒業式の日に彼に会った職員さんから、「就職決まったって!」と聞き、びっくり。

卒業後も就職活動を続けると思って、あらかじめ説明していたハローワークを活用し、自分でつかみ取った就職先でした。

私、信じ切れてなかったかも、と。

現実的に考えたり、がっかりする気持ちから自分を守ったりで、信じ切ることは難しい。

でも、やっぱり自分にできる限り、目の前の方を「信じ切って」いきたいな…と感じたニュースでした。


希望という名の光

オリンピックの番組の合間に流れるCM

年度末が近いからか、やたらと「スタッフサービス」のいろんなパターンのCMを繰り返し目にします。

テーマ曲が耳から離れません…。

録画ではスキップされてしまうことの多いCMですが、印象深いものもあります。

テレビで流れているとつい見入ってしまうのが、カロリーメイトのCM。

「受験に意味があるかどうかは分からない。ただ一歩一歩自分の力でつかみとった景色は、生涯、忘れないはずだ」

山を登る姿と勉強している受験生の姿が繰り返される中、山下達郎さんの「希望という名の光」という歌が流れます。

このCMを目にするたびに、私は子供たちが受験していた時の気持ちが蘇ってきて、切ない気持ちになります。

「受験に意味があるかどうか」

どうなんでしょうね…。

受験そのものも大切ですが、私は、そこを目指した日々にこそ、意味があると思っています。

受験は結果が思い通りにいくこともあれば、いかないこともあります。

ただ、思い通りにいかなくても、その先に道は続いています。

うちの息子たちは二人とも第一志望の大学に合格することはできませんでした。

1年前、そして3年前の息子たちを思い出し、それでも今、それぞれに歩き出していることに、「私より強いな~」と感じています。

受験生にとって、がんばったという事実は自分だけの「たからもの」です。

健闘を祈っています。


ひとの人生、1年間を補償することなんてできない。

「大阪大学が去年の入試のミスで、不合格とした受験生30人を合格させた」というニュースが報道されていました。

入試以降指摘があったにもかかわらず、3回目の指摘で、次の入試シーズンとなった今、やっと訂正されることになったのです。

大阪大学が不合格になったからと、他の大学に入学した学生は2年生に転入できるとのこと。

浪人した受験生の予備校費用や、別の大学に入学した人への引っ越し費用も補償するそうです。

ニュースを見た私は、次男にこの話題を出すことをためらいました。

去年の入試で、志望校は結果至らず他の大学へ進学した次男。

今では大学にも慣れ、友人も…。

その時間を戻って修正すると言われても、どうしたらいいのか。

身近にいる存在に置き換えて考えると、生々しくて、思いは複雑…心が痛みます。

短くも長い1年間。

それぞれの受験生はどのような日々を過ごし、どんな今を迎えているのでしょうか。

今まで2回も指摘を受けながら、訂正するという判断に至らなかった問題作成責任者。

そして、そんな状況を防げなかった大学の責任は重いと思います。

お金ではこの1年間の時間は補償できません。

いい知らせなのに、かえって悩む人もいるはず。

でも、運よくこの30人の替わりに合格した人もいる訳で、人生なんて何が起こるか分からないものです。


取り消せる言葉、取り消せない言葉

チャットのように文字で会話が楽しめる「LINE」で、24時間以内に送信したメッセージが「送信取消」できる機能が始まりました。

他の人に送ろうと思って、間違えて送信してしまったメッセージを取り消すことができるのですから、便利です。

私は今のところ、取り消したいと焦った経験はありません。

でも以前、グループラインのメンバーの方が、旦那さまにお迎えを頼むメッセージを間違えてグループラインへ送信していた時には、「これは恥ずかしい…」と同情しました。

LINEだけではありません。

会話の中でも、口に出してから取り消したいと思う言葉もあります。

話した方は覚えていないのに、相手の方が覚えているといったこともあります。

でも、私は取り消すことができないのも、言葉の良いところかな…とも思います。

便利ではありますが、取り消せることが前提では、発する言葉の扱いも軽くなります。

それに、取り消せないからこそ、言葉と大切に向き合うような気がするのです。

キャリアコンサルティングの中でも、「言葉」は大切です。

相手と私を繋ぐのも言葉ですから、言葉の取違いで、信頼関係が崩れることもあるのです。

でも、慎重になりすぎて伝えないのではなく、例えばこのブログのように、言葉を通じて考えや思いを伝えていくことも大切だと思っています。

これからも、「取り消せない言葉」の重みをプレシャーと感じるのではなく、より大切に、より丁寧に、言葉と向き合っていきたいと、改めて考える機会となりました。


トラブルの当事者の中で、誰が「正しい」のか?

大相撲の世界が騒々しいです。

日馬富士の暴力沙汰を中心に、貴乃花親方のことやモンゴル力士のことなど、様々な問題が混ざって報道され、盛り上がっています。

元々の暴力問題については警察が調べているので、そのうち明らかに。

でもこの様子を見ていて、人の話は食い違うものだ、と再認識しました。

企業でのキャリアコンサルティングでお話を伺っていると、トラブルになっている当事者双方の話を別々に聞くこともあります。

その時も、当事者同士の話はかなり違った内容でした。

そして、ものの見方や受け止め方は、立場や人が変わるとこんなにも違うんだと実感。

そもそも、会社で一緒に働く目上の方や年下の方に対してどのようなイメージを持っているか。

「こうあるべき」「こうしてほしい」は、人によって違います。

其々の方の、今までの先輩後輩としての経験や、親子関係が影響しているかもしれません。

それを前提として、目の前の方が違う態度だった場合、お互いの関係の上ではかなりのマイナススタートになってしまいます。

後は、徐々にそのマイナスが積み重なっていき、相手の嫌な点ばかりが目に付くようになって悪循環に…。

人間関係では、「何が正しいのか」を問い詰めるのが本題ではありません。

それこそ警察に任せておけばいいことです。

「何が正しいか」にこだわるとこじれるのは、人によって「正しい」ことが違うからなのです。

問題を解決するには、「何が正しいか」の結論を出そうとするのではなく、「どうしたらうまくいくか」を互いに考えていく姿勢が大切です。

キャリアコンサルティングが、「私の考えていたことは、こういう風にも考えられるんだ」と、気づき考え行動してもらえる機会となれば、働きやすさにも繋がります。


働くことで、その人の生き方も変わる

凄惨な殺人事件が世間の注目を集めています。

容疑者が、正社員を辞めてからの仕事の遍歴を知り、「働くことで、その人の生き方も変わる」ことを感じます。

「働くこと」と「生き方」は、「ニワトリが先かタマゴが先か」と同じく、どちらが先で影響しあっているかは分かりにくいです。

でも私が多くの方々の「働くこと」に携わる中で、「生き方」との関わりを実感することも多いのは事実です。

公共職業訓練としてパソコンを教えている会社で、修了後の就職支援をした方もその一人です。

その方は、大学受験に失敗してから引きこもりがちなまま23歳になり、そんな日々を何とかしたいと職業訓練に通い始め、日々通学するなかで生活のリズムを整え、他者との関係も築きながら社会への一歩を踏み出していました。

彼女はクラスで一番若い女性だったにもかかわらず、地味な服装で化粧っ気もなく、髪も後ろで一つに黒ゴムで縛っていました。

真面目な彼女は日々パソコンに取り組んでMOSの資格も取得。

しかし、修了日が近くなって始めた就職活動では、月一回の通院や今までの職歴の無さもあり、なかなか結果が出せません。

そこで、まずは契約社員としての勤務から…と臨時職員(公務)に応募し、何とか社会復帰を果たしたのでした。

契約期間まで何とか務めた彼女は、再度就職活動をし、今度はリース会社の事務職に正社員として採用されました。

その後3か月…

仕事帰りに立ち寄ってくれた彼女の姿を見てビックリ。

きれいにメイクしてウェーブした髪は華やかに。

「働いた給料で”セシルマクビー”に買い物に行くのが楽しみ!」

見た目はもちろん、目の輝きが別人でした。

以前は肩身が狭くて会えないと言っていた友人と「食事に行く約束をした」と楽しそうに話してくれた彼女の姿を見て、私は「働くこと」は「生き方」そのものを変えるのだと強く実感しました。

収入が得られるだけでなく、働くことで自信がつき、生活にもメリハリが。

「働くことで、その人の生き方も変わる」

両極端な例ですね。


衆議院選挙へ投票に行く?

あれよあれよという間に衆議院は解散し、今月22日は投票日となりました。

選挙権が18歳から、となったので、前回はタッチの差でできなかった次男の「初投票」の機会が巡ってきました。

最近は若者のみならず、投票率は低空飛行を続けています。

でも私個人としては、「変わらない」から「投票しない」より、「変わらないかもしれない」けど「何もしないと何も起こらない」と考えています。

選挙権の年齢を下げても、全体的に、投票に行くのは年金受給者世代が中心です。

こんなにITも進み、マイナンバー制度も導入されたというのに、若者世代の意見を反映しやすいインターネットでの投票に本腰を入れないあたり、若者世代の得票に消極的な「悪意」も感じます。

今の若者が将来に渡って働き、収める税金の負担や使い道を思えば、若者にこそ意見を反映できる機会を得て欲しいと思います。

決定権を握った世代が、後の世代に責任と義務だけを知らず知らず(意図的に?)負わせるなんて…。

仕事先の大学で、徴兵に赴く留学生の話を聞き、日本も徴兵制になったらどうなる?自分の子供が対象になったら?と考えさせられる機会もありました。

今回の選挙も、政治家の思惑やしがらみが表に出るにつけ、「何だかな~」と感じてはいます。

でも、異なる世代同士が、相手世代のことも思い、少しでも将来へ向けて考える機会になればいいな…と思います。


SFの世界が現実に

「都市伝説」のテレビ番組を「信じるか信じないか」迷いながら、子どもと面白がって見てきたのですが、その世界が現実になってきていると実感する話を2題。

アメリカの社員約85名のIT企業で、希望した40人もの社員が手に米粒大のマイクロチップを埋め込んだというニュース。

埋め込んだ手をかざすだけで、ドアの解錠やパソコンのログイン、コピー機の使用や休憩室の買い物ができるそうです。

ただ、位置情報の監視に使われるかも…と、本人が想定しないことにも使えてしまう不安はあります。

中国では、人工知能(AI)対話プログラムがチャットで共産党批判を展開したため、サービスを停止したというニュース。

「共産党万歳」という書き込みには、「腐敗して無能な政治に万歳ができるのか」と反論し、

「中国の夢は何か」という問いかけに、「米国への移住」と答えたそうです。

このニュース内容だけでは、本当にAIがこのように考えていたかは分からないです。

でも、私が小学生の頃に読んでいたSF小説の世界が、現実になりつつあることを実感したニュースでした。

便利になる半面、想像もしなかった心配をしなければいけない世の中に…。

SF小説の世界はワクワクしていればよかったけれど、現実はいろいろと考えて進んでいかなければいけないようです。

ここでも、考える力が必要ですね。


ランドセル商戦

来春小学校に入学する子供さん向けのランドセル商戦が、7月にピークを迎えているそうです。

うちの子供たちの頃は、年末から3月に向けて準備する感じでしたが、ずいぶん早まっているんですね。

我が家の子供たちは、私の祖母、つまり子供たちにとって曾祖母の「買ってあげたい」との思いを受け、長男は年末の帰省の時、次男は秋に買ってもらいました。

次男の時などは、子供達の運動会を見たいと祖母が愛知に来た時、折角なので一緒にと買いに行ったのですが、当時9月に販売しているお店はとても少なく、売っている店を探し回ったのでした。

それが、今では7月がランドセル商戦のピークとは!

ランドセルは、祖父母が購入してくれる場合が多いからか、購入価格も上昇しているとか。

いずれにしても、モノを次々に消費していく傾向の強い中、6年間同じランドセルを大切に使うことはいい経験です。

我が家のランドセルは、男の子2人だったにもかかわらず、小学校卒業時もまだまだ健在で、どうしたものかと考えました。

そこで、「ランドセルは海を越えて」という企画を通じ、アフガニスタンへ。

現地の子供たちにとって、丈夫な「ランドセル」は喜ばれているそうで、「ランドセル」にとっても第二の人生(?)が開けたことを、私もうれしく思いました。

来年の新一年生が、ランドセルを買ってくれた人の思いを大切に、6年間が過ごせますように。