大学で学んだことの中で、今に繋がっていること

大学の研究室が並ぶ中、共同研究室でグループワークの評価作業をしています。

作業をしていると、近くの部屋から学生が教授の部屋に集まって賑やかに話している声が聞こえてきて、自分の大学生活を思い出しました。

私は大学では社会学科の中にある文化人類学専攻でした。内容を聞かれると、「比較文化です」と簡単に説明していました。

指導教官はブラジルの研究をしている方で、ブラジル在住も長かったのですが、大学のある市の郊外に住まわれていて、年一回ご自宅で食事会を開いて下さいました。

日系ブラジル人の奥様は、フェジョアーダという豆と肉の煮込み料理や、サワークリームを使ったディップを作って、私たち学生をもてなしてくれました。

フェジョアーダをご飯にかけ、カレーライスのようにしていただいたり、サワークリームをドリトスにつけて食べながら、教授を囲み、同じゼミの先輩後輩と夜中までわいわいと語り合いました。

決して優等生ではなかった私にとって、その頃学んだことは遥か記憶のかなたになっています。

でも、その時の賑やかで楽しいラテンの雰囲気は今でも思い出しますし、その後日本にブラジルから多くの方が入国するようになって近所に引っ越してきた時も、とても親近感を持ったのは確かです。

それに、文化人類学で学んだグローバルな視点、文化の多様性を受け入れる素地は、今も私の生き方の基礎になっています。

優劣でなく、「違い」として互いを受け入れ、尊重することの大切さ。

学生と様々な仕事の話をする時も、様々な職業の方のお話を伺う時も、仕事にも人にも優劣がある訳ではなく、ただ違いがあると私は考えています。

そして、その違いを尊重したうえで、素直な気持ちで向き合うことも心がけています。

サークルとアルバイトにかまけていた典型的文系大学生の私でしたが、それでも大学での4年間は今の私に繋がっていると、賑やかな研究室の近くを歩きながら、遥か20数年前を懐かしく思い出しました。


「名もなき家事」と無償労働

さすがに梅雨らしいジメジメとした日が増えてきて、気温があまり上がらずともクーラーをつけたいと思うようになってきました。

そもそも、私はそれ程クーラーに頼らずもっぱら扇風機でしのぎがちなのですが、我が家は男が多く、みんなクーラーをつけたがります。

蒸し暑さに負け、やっと重い腰を上げてクーラーを掃除したことで、我が家もクーラー解禁となりました。

業者の方だと中まで徹底して掃除してもらえるので頼む時もあるのですが、何となく私が掃除して終わりの年も多いのです。

やりだせば2時間ほどで、3台続けて掃除してしまうのですが、やり始めるまでが、なかなか気が重い…。

一通り終わって、クーラーをつけた部屋で、

「業者さんに頼んだら1台1万円以上するよ~」と話す私に、

週末帰宅していた夫からは、感謝の言葉はありつつも、

「じゃあ、○○(次男)から5千円もらったら~」と一言。

ほんと、家事とはなんと無償労働が多いことか…。

家事分担をしていても、「名もなき家事」の負担が妻側に大きいという話題もありました。

分担した家事の合間に妻がこなす「名もなき家事」は、夫には認識されていないとのこと。

トイレットペーパーが無くなったら買いに行く。

食事の献立を考える

調味料を補充・交換する

手洗い場のタオルを取り替える

クリーニングに出す・取りに行く

町内やマンションンの会合に出席する

などなど…。

まだまだ家事については改善の余地ありですね。


「友達親子」は女の子だけの特権?

先日野際陽子さんが亡くなりました。もう81歳だったんですね。

ご冥福をお祈りいたします。

野際さんといえば「ずっとあなたが好きだった」というドラマの中で、当時世の中の話題になっていたマザコン男性冬彦さんの母親役でした。

当時、関係が深い母と息子のことは衝撃的で、ドラマも大流行しました。

あれから25年。

明治安田生活福祉研究所ときんざいが行った調査で、母親とのお出かけに抵抗がない息子(10代後半から20代)は、71.8%もいるそうです。

これが親世代だと54.2%だったので、この20数年のうちに、抵抗感はずいぶん薄れているようです。

ドラマが流行っていた当時、男の子は大きくなってから母親と一緒に行動することは、仲が良すぎて「マザコン」で、よくないことのように受け取られる風潮もありました。

私は自分が姉妹で育ち、男兄弟と育ったわけではないので、イメージでは男の子は中学生になったら母親と一緒に歩くなんてあり得ないのかと思っていました。

でも現実には、用事があって出掛ければ、息子は私と2人で横並びで歩くのも全然抵抗がないようで、意外に思っていました。

そんなところにこの調査結果を知り、うちだけではないことを実感しました。

もともと、女の子と母親は、親子でランチしたり服を選んだり雑貨屋さん巡りをしたり…と、子供が大きくなっても、親子仲良く行動している人も多いです。

同じように子供を大切に育てていながら、性別の違いで、片や「友達親子」片や「マザコン」と、正反対のイメージの言葉で表現されることに、私はある種不公平感を抱いていました。

もちろん、子供に対して自立を促すことは、男女問わず必要なことだと思います。

我が家でも、経済的な面や自分に対する責任の面で、年齢に応じて、徐々に自立を試行錯誤はしています。

ただ、親が子供に対する思いは性差がないはずなのに、それを表現する行動は「好感」と「嫌悪」と両極端なのは不自然です。

海外の男の子たちは、母親への気持ちを娘と同様、時にはそれ以上に表現します。

こんなところで、日本もグローバル化?

お互いに、自立したうえで心地よい関係性が築ければいいですね。


「電車通勤」と「車通勤」

私は最寄り駅まで徒歩15分と微妙な距離に住んでおり、仕事先の最寄駅までの距離で車で行くかどうか決めていました。

ここ3ヶ月間通った大学へは車を使っていたのですが、お酒の席に声掛けいただいたので一日だけ電車で向かいました。

電車乗り換えの接続がよければ、ほぼ同じ所要時間で行けるはず。

でも実際行ってみると、とにかく「歩く距離」が全然違う…。

乗り換えや階段など、結構歩くのです。

いかに車移動は歩かないことか。

やっぱり車移動は、日々心して歩かないといけないことを痛感しました。

電車通勤は、最寄り駅まで距離によっては結構歩くことになりますし、住んでいる地域では天候や事故で運休や遅延が起こると代替が難しい。

でも移動中は本を読んだりスマホで情報を確認したりと有効活用できます。

車通勤は、渋滞する時間帯だと到着時間が変わることや、運転中の時間を他のことに活用できない点は不便です。

でも天気に関わらずdoor-to-doorで移動できる点は便利。

どちらも一長一短。

今は仕事先も様々な場所へお伺いするので、その時々で電車か車か判断して決めることになります。

ただ、そもそも私は電車に乗ることも車の運転も好きなので、結局、移動は楽しい!


子供に対する親の影響

女優寺島しのぶさんが長男の眞秀くんを歌舞伎役者にしようという思いで育て上げた話を知りました。

幼い頃の子供に対する親のかかわりは影響が大きいですね。

私はそのことに、つい慎重でした。

私は夫と音楽繋がりで出会い、結婚しました。

結果、周りには子供の名前に音楽関連の名前をつける友人も多く…。

でも、敢えて私は全く関係のない名前をつけました。生まれたときから子供に色をつけるような気がしてしまったのです。

特に女の子がいる友人は音楽を習わせて、子供も音楽系の部活へ進むのが定番な感じでした。

確かに私も、楽譜は読めるといいな~と考えて、子供たちが幼い頃は音楽教室へ通わせていましたが、中学ではあえて運動部を選ぶことを勧めたくらいでした。

ところが高校では、知らない内に二人とも音楽系の部活へ入部し、私の方がビックリ!

そして大学ではまた音楽とは関係のないサークルに入ったのでした。

大人になっても趣味や息抜きとして、ジャンルや場を問わず息子たちの近くに音楽があればいいな…とは思います。

でも、子供は子供と慎重になってしまった私でした。

そうは言っても、結局いろんな意味で影響を与えていることは確かですね。

スポーツ選手や世襲制の家業など親の影響の大きい世界はありますが、そうでなくても、子供に対する親の影響は大きいです。

それがいいのか悪いのかは、結局答えの出ない問題でもあります。

反面教師なんて言葉もありますし…(^^;)


自営とサラリーマンの違い

私は父親が公務員で、夫も私自身も会社勤めだったということもあり、月々の給料で生活することが当たり前でした。

結婚後も、自分が働きに出るのは月々の収入を上げるためで、その収入でやりくりするためには支出を節約するという考え方でした。

だから、会計事務所で働いていた時に出会った事業主の方々の感覚の違いに、当初とても戸惑ったのです。

サラリーマン感覚の私には、とても事業をやることは無理だと思っていました。

ところが、思わぬ展開で開業することになり…。

事業として仕事を始めるとなると、収入は月単位ではなく、仕事単位や年単位で考えていくことになります。

必然的に、月ごとの収入や支出の変動が大きくなるのも当たり前。

支出も、先に活かせる内容であれば投資と捉えてむやみに節約しないことが大切ですし、何に投資するかを考えることもとても大切になってきます。

身についてしまった感覚を切り替えるのはとても大変で、いまだに試行錯誤しています。

ただ、思い起こせば私の祖父は商人。

靴屋を営んでおり、自分で靴も作っていました。

つまり私には、商店経営の血も、職人気質の血も流れているという訳で…。

結局やってみると、大変だけど意外と自営は面白く、私には合っていると感じています。

責任は伴うけれど、自由で可能性があります。

それに、靴職人だった祖父の職人気質も、私の仕事のやり方の根底にあると感じています。

血は争えないですね。


年に一度の地域活動

今日でゴールデンウィークも終了ですが、今朝は町内会の一斉清掃日でした。

私の住んでいる地区は、古くから住んでいる方の土地に新たに住宅を建てて引っ越してきた方が多い地区です。

私も15年前に近隣の団地から引っ越してきました。

近くには、古くからこの土地に住む地主の方々の地域や、私の親世代が入居した大規模な新興住宅地もあるのですが、私の住む地区はその中間のような感じ。

程よく前から住んでいる方と新しい方が入り混じって、ほどほどの距離で関わっています。

年1回は全世帯が参加する掃除がある他は、年に1~2回近所の公園や神社のそうじが回ってくるくらい。

一年間回覧板の管理をする組長も、組に20数軒あるので当分回ってきません。

私も、子供が小学校の頃は地区の子供会活動に参加して、端役ながら役員を務めました。

その中で古くから住む地元の方と一緒に活動することもあり、様々なこの土地ならではの話を聞くことができました。

古くから住む方との距離をどうするかは人それぞれですが、後から引っ越してきた私にとって、その機会に、地域の神社を掃除している方々のことも、東海豪雨のこの地域の水害の様子も、地区の役員の存在も知ることができました。

大縄跳びを練習して地区運動会へ出場したり、餅つき大会の下準備を地元のおばさまたちと一緒にしたり、秋祭りの前に地区の役員の方々と神社でお祓いを受けたり、しめ縄作りに参加して年配の方の手ほどきでお正月のしめ縄を自作したり…。

地域との関わりは大きな災害が起きると注目されますが、日頃ちょっと面倒な関わりをできる範囲でしておく積み重ねが、そこに繋がっていくのだと思います。

ただ私の参加度は、地元に根付いている方の地域活動とは比べ物になりません。その方々のおかげで地域が維持されていることも、関わることで実感しました。

本当に頭が下がります。


あいまいな記憶も、その人らしさ

大学時代の友人と3人で久しぶりに再会しました。

午前中11時にお店に入り、ランチや飲み物を楽しみながら午後4時まで…(^^;)

それはそれは楽しく、時を忘れ、話に夢中な5時間でした。

その会話の中で、共に1年間を過ごした学生寮の話になりました。

寮は大学の敷地内にあり、上級生と1年生を交えた4人部屋で、食堂やお風呂・トイレは共有の共同生活でした。

再会した2人とはこの寮で出会い、夜中まで語り合う日々を過ごしました。

それぞれに結婚出産、その他様々な人生の節目を経てもなお、今まで繋がってきた大切な友人です。

なかなか3人揃って会うことはできず、今回も7年ぶりぐらい。

ひとしきり近況を話した後、当時寮で一緒に過ごした友人たちの話に至りました。

当時同じ階だった友人の名前を挙げる中で、名前を挙げることができる友人も、その特徴も、3人の中で微妙にズレがあるのです。

結果的には3人の記憶を合わせることで、1人では思い出せない多くの友人のことを思い出すことができました。

それにしても記憶とは何とあやふやでいい加減なものか…。

記憶なんて、自分の意識に引っかかったことを中心に、自分の都合のいいところを、自分のフィルターを通して覚えているわけで…。

仕事で相談を受ける時も、相談者にとって「何が真実」か「何が正論か」だけが大切なわけではありません。

その事実を「その人がどう受け止めているか」、記憶をたどって経験を話してもらいながら理解し、問題点を徐々に紐解いていきます。

人の記憶もいい加減ですが、そのムラがある記憶にこそ「その人らしさ」が表われています。

3人で記憶をたどる楽しい時間は終わり、また近い再会を誓って、笑顔での別れとなりました。


SNSの素晴らしさとブログらしさ

大学時代からの友達が、遠方から名古屋に遊びに来ることになりました。

その日程調整の相談を共通の名古屋在住の友人と3人で別々のラインでやり取りしていたのですが、効率が悪い。

そこで、友人に頼んでグループラインにしてもらいました。

外出先のスマホで、違う土地に住む3人で同時に相談…。

便利な世の中になったものです。

私が大学生の頃は、スマホどころか携帯電話もなく、待ち合わせに遅れる時には、どうやって連絡を取ろうか知恵を絞ったものでした。

駅の伝言板なんてものもありました。仕方ないから自宅へ電話して親御さんへ伝言したこともありました。

「待ち合わせはいつまで待てるか」という問い自体、今は携帯やスマホへ連絡ぐらい来るでしょうが、当時は音信不通で待ち続けることを意味しました。

世の中変わったものです。

便利なことも多いSNSですが、私も自分で仕事を始める時、どんな方法で情報発信をしていったらいいか、ずいぶん迷い試行錯誤しました。

そんな中で、今のところこのブログが私の情報発信の中心になっています。

起業ノウハウを見れば、「FacebookやTwitterは必須!」ともありますが、文章で、発信する内容も吟味したうえで、自分の気持ちも含めて伝える手段として私はブログを選択しました。

今後、他の手段をとっていくこともあると思いますが、私にとってはこのブログを長く続けることが大切だと思っているし、私らしいな~とも思っています。


学芸員は「がん」か?

地方創生担当相の発言が話題になっています。

学芸員は地方創生を邪魔しているとの趣旨の発言。

私は大学で学芸員の資格を取っており、現場の学芸員の方ともご一緒したこともあるので、この発言に納得できないし、影響力の大きい方の発言として信じられない思いです。

もちろん、学芸員の資格取得のためには、大学で保存視点の講義も受け、研究職という側面もあります。

でも、保存・研究の大切さを踏まえつつも、その良さも広める大切な仕事だと思っています。

私も、大学の夏休み期間に、実家近くの考古学博物館へ2週間の博物館実習へ行きました。

その時担当してくださった学芸員の方は、保存の意識も持ちつつ、その良さを広めることにも力を入れていました。

夏休みということで、小学生を対象としたイベントを企画・運営され、小学生と土をこねて縄文土器を作り、真夏の灼熱の中、たき火をして土器を焼き上げました。

発掘中の現場へ小学生を連れていき、土器の発掘体験もしました。

単なるイベントではなく、体験する中で、土器の種類や作り方の説明、発掘する上での注意や大変さといった知識と重要性を、小学生に身を持って体験してもらう機会を作っていました。

その熱意と専門性に、制限のある中での実務で、できる限りのことを模索し挑戦されている姿が尊敬できる方でした。

展示物の良さを知っているからこそ、専門的な立場でその良さを伝えようとする学芸員の方々も多いのです。

他にも、地元で遺跡が発掘されれば、学芸員の方が解説に立ち、近隣の方だけでなく、それを目的に大勢の方が訪れます。

博物館に含まれる水族館や動物園の最近の展示や解説の面白さは、よく話題にもなっています。

公的な所属の方が多く、保存の意識が強い方も中にはいらっしゃるとは思いますが、「学芸員」全てを総称して発言されたことの影響を考えると、残念でなりません。