自営とサラリーマンの違い

私は父親が公務員で、夫も私自身も会社勤めだったということもあり、月々の給料で生活することが当たり前でした。

結婚後も、自分が働きに出るのは月々の収入を上げるためで、その収入でやりくりするためには支出を節約するという考え方でした。

だから、会計事務所で働いていた時に出会った事業主の方々の感覚の違いに、当初とても戸惑ったのです。

サラリーマン感覚の私には、とても事業をやることは無理だと思っていました。

ところが、思わぬ展開で開業することになり…。

事業として仕事を始めるとなると、収入は月単位ではなく、仕事単位や年単位で考えていくことになります。

必然的に、月ごとの収入や支出の変動が大きくなるのも当たり前。

支出も、先に活かせる内容であれば投資と捉えてむやみに節約しないことが大切ですし、何に投資するかを考えることもとても大切になってきます。

身についてしまった感覚を切り替えるのはとても大変で、いまだに試行錯誤しています。

ただ、思い起こせば私の祖父は商人。

靴屋を営んでおり、自分で靴も作っていました。

つまり私には、商店経営の血も、職人気質の血も流れているという訳で…。

結局やってみると、大変だけど意外と自営は面白く、私には合っていると感じています。

責任は伴うけれど、自由で可能性があります。

それに、靴職人だった祖父の職人気質も、私の仕事のやり方の根底にあると感じています。

血は争えないですね。


年に一度の地域活動

今日でゴールデンウィークも終了ですが、今朝は町内会の一斉清掃日でした。

私の住んでいる地区は、古くから住んでいる方の土地に新たに住宅を建てて引っ越してきた方が多い地区です。

私も15年前に近隣の団地から引っ越してきました。

近くには、古くからこの土地に住む地主の方々の地域や、私の親世代が入居した大規模な新興住宅地もあるのですが、私の住む地区はその中間のような感じ。

程よく前から住んでいる方と新しい方が入り混じって、ほどほどの距離で関わっています。

年1回は全世帯が参加する掃除がある他は、年に1~2回近所の公園や神社のそうじが回ってくるくらい。

一年間回覧板の管理をする組長も、組に20数軒あるので当分回ってきません。

私も、子供が小学校の頃は地区の子供会活動に参加して、端役ながら役員を務めました。

その中で古くから住む地元の方と一緒に活動することもあり、様々なこの土地ならではの話を聞くことができました。

古くから住む方との距離をどうするかは人それぞれですが、後から引っ越してきた私にとって、その機会に、地域の神社を掃除している方々のことも、東海豪雨のこの地域の水害の様子も、地区の役員の存在も知ることができました。

大縄跳びを練習して地区運動会へ出場したり、餅つき大会の下準備を地元のおばさまたちと一緒にしたり、秋祭りの前に地区の役員の方々と神社でお祓いを受けたり、しめ縄作りに参加して年配の方の手ほどきでお正月のしめ縄を自作したり…。

地域との関わりは大きな災害が起きると注目されますが、日頃ちょっと面倒な関わりをできる範囲でしておく積み重ねが、そこに繋がっていくのだと思います。

ただ私の参加度は、地元に根付いている方の地域活動とは比べ物になりません。その方々のおかげで地域が維持されていることも、関わることで実感しました。

本当に頭が下がります。


SNSの素晴らしさとブログらしさ

大学時代からの友達が、遠方から名古屋に遊びに来ることになりました。

その日程調整の相談を共通の名古屋在住の友人と3人で別々のラインでやり取りしていたのですが、効率が悪い。

そこで、友人に頼んでグループラインにしてもらいました。

外出先のスマホで、違う土地に住む3人で同時に相談…。

便利な世の中になったものです。

私が大学生の頃は、スマホどころか携帯電話もなく、待ち合わせに遅れる時には、どうやって連絡を取ろうか知恵を絞ったものでした。

駅の伝言板なんてものもありました。仕方ないから自宅へ電話して親御さんへ伝言したこともありました。

「待ち合わせはいつまで待てるか」という問い自体、今は携帯やスマホへ連絡ぐらい来るでしょうが、当時は音信不通で待ち続けることを意味しました。

世の中変わったものです。

便利なことも多いSNSですが、私も自分で仕事を始める時、どんな方法で情報発信をしていったらいいか、ずいぶん迷い試行錯誤しました。

そんな中で、今のところこのブログが私の情報発信の中心になっています。

起業ノウハウを見れば、「FacebookやTwitterは必須!」ともありますが、文章で、発信する内容も吟味したうえで、自分の気持ちも含めて伝える手段として私はブログを選択しました。

今後、他の手段をとっていくこともあると思いますが、私にとってはこのブログを長く続けることが大切だと思っているし、私らしいな~とも思っています。


武器は拾いながら走る

大学生の就職活動を支援していると、準備に時間をかけるがゆえに、なかなか動き出せない学生さんに出会います。

「履歴書が仕上がらないからまだ申し込めない」とか、

「不安なので、次の日程にしました」とか。

もちろん準備をすることは大切ですが、今完璧だと思う準備も状況が変わると最善の策ではなくなります。

そうすると、その状況での完璧な準備をしようと思って、また動き出せなくなるという繰り返し…。

ともすると、うまくできない言い訳探し(準備が間に合わなかったから…)にもなり兼ねません。

日頃、行動することを信条としている私は、

「武器は走りながら拾う」

という言葉を自分に言い聞かせ、とにかく行動することを心がけています。

いつまでも最高の武器を磨き上げ続け様子をうかがうのではなく、使ってこそ武器は役立つのだから、何しろ走り出そうという考え方。

武器が必要なら、走りながら拾えばいいのです。

まずは、進め進め!

だからそんな私は、日々学生さんを励まし追い立てながら、少しでも多くの学生さん達が走り出すようにと考えて関わっています。

そもそも、キャリアコンサルティングは相談者の「行動変容」を促すことを目指しているのですが、私はその「まず行動できること」を重視している訳です。

全く方向が定まらなければ、考えていないで合同説明会へ参加し、企業の担当者と話をしてみる。

興味を持った企業があれば、個別説明会へ申し込む。

まだ表面的に選考が始まらない金融機関へは、今のうちに支店訪問する。

志望度が高い企業へは、OBOG訪問を検討する。

とにかく動くことで、一歩先の問題で悩む状況になりますし、もしかしたら、転がっている運に当たることもあるのです。


さくら

桜は満開だというのに天気が悪く、強く降りしきる雨で散ってしまわないかとハラハラしましたが、週末には、無事満開のまま雨が止みました。

折角なので、少しだけでもとお花見に…。

家の近所には「五条川」という川が流れており、桜の名所として有名です。

「日本さくら名所100選」にも選ばれたところで、満開になると、地元中日新聞の一面を飾ることもある所なのです。

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もう少し上流まで歩いていけば、程よい幅の川の両側に桜の木が並び、川の両側から川面に向かって枝が伸びてとてもきれいです。

川面に桜の花が映る中、早くも散りだした花弁が川面を流れていきます。

桜は「散り際が美しい」と言われ、そこも含め、日本人が好きな花ですね。

桜もそうですが、自然に咲く花には季節感があり、咲いた花を見ると、その花に紐づいた光景がさっと思い出されることがあります。

桜を見ると、子供の頃、家族で近所の公園や地元の名所でお花見したこと。

学生の頃、友人達と大学内でシートを敷いて、夜桜を肴に盛り上がったこと。

仕事についてからは、職場の方々とお昼に会社の隣の公園で桜の下でランチしたこと。

そして結婚してからは、自分の家族たちと行った五条川や、桜の木の近くで写真を撮った入学式のこと。

今まで、いろんな所でいろんな人とのお花見が思い出されます。

他にも、桜の下で咲いている白柳を見ると、以前住んでいた団地で子供と毎日出入りしていた階段下の光景が。

そして今月末からシーズンを迎えるハナミズキを見ると、結婚前に帰省した地元の商店街で、街路樹としてきれいに咲いていた光景を思い出します。

そんな記憶に支えられて、また元気に歩き出せることもあります。

春は思い出も、そこからもらえる力も多い季節です。

環境が変わることも多く慌ただしい中で、つい心が疲れることもある季節ですが、過去の思い出に力をもらい、今日の一歩を踏み出していきたいですね。


うまくいかなかったからこそ、学んだこと

キャリアコンサルタント養成講座の受講生の方から、2度目のチャレンジでの合格報告がありました。

合格された方々、おめでとうございます!

これからは、同じキャリアコンサルタントとして、様々な方面で活躍されることを願っています。

残念ながら再チャレンジの方は気持ちを切り替え、次回こそはぜひ合格できることを祈っています。

私も、キャリアコンサルタント資格ができる前、移行もととなるCDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)の試験を受けたのですが、一回目は不合格でした。

試験の後、当時の私はなんとなく、「合格じゃないかな~」と思っていました。

だから、不合格通知が来て、中に入っていた講評の言葉には、ひどくショックを受けました。

立ち直ってもう一回受けようと決めるまで、時間がかかりました。

経済的事情も含め、「今度こそは絶対に受からないと!」と、万全の態勢で臨んだ2回目で無事合格。

この時の試験は反対に、「今回はダメかも…」と思う内容でした。

今思えば、自分が成長することで見る目線も育つわけで、自分のアラもできなかったところも、やっと気づくようになっていたのだと思います。

「できている」と思ったまま1回目の試験に合格していたら、今の私はありません。

何となく受かり、受講生の方々にアドバイスをする機会があっても、自信を持って見当違いのコメントをしていたはず。

落ちたショックは半端なかったのですが、そこから得たものはとても多かったな~と、今は思います。

2度目のチャレンジで合格をつかんだ方々、ぜひ自信を持って進んでください。

ストレートで合格した自分より、必ず力のついた自分になっていますから。


1年間の成長と、社会への巣立ち

大学新卒の就職活動は、基本的に一生に一度きり。去年の経験を翌年の自分に生かす…ということはありません。

経験もなく不慣れなまま、様々な情報の中で、選考に対するスキルを高めつつ、自分の行き先を模索する活動です。

それだけに、学生さんたちは精一杯就職活動に取り組むことでめざましい成長を遂げ、一回りも二回りも大きくなって社会へ巣立っていきます。

そのことを実感する出会いがありました。

今私は、昨年の春と同じ大学で支援に携わっているのですが、卒業式の日、偶然、1年前に何度も面談や面接指導をした卒業生に会いました。

昨年は6月までの契約だったため活動途中までの支援しかできず、その時受けていた企業の結果も、その後の彼の就職活動の状況も分からないままでした。

私を見つけて卒業式のスーツ姿で歩いてきた彼は、こだわっていた鉄道関係の仕事に就けたことを笑顔で報告してくれました。

振り返れば、当時彼が受けていた企業は難関で、その仕事にこだわる彼が心配だった私は、職員の方に引き継ぎをしていました。

その心配を知ってか知らずか、納得いく結果が出るまで活動をがんばった彼は、「12月までかかってしまって…」と、照れ笑いをしつつも、すっかり社会人の顔になっていました。

体調に気をつけてがんばるように伝えることができた偶然に感謝し、私もまた、気を引き締めてがんばらないと、と彼の後ろ姿に思いました。

新社会人の前途に、幸多からん事を!


「形のないもの」と向き合う気持ち

今週末は、所属する市民音楽団体の演奏会がありました。

その団体も、発足当時は「市民」メンバーがほとんどだったそうですが、演奏会も35回を数える今となっては、ほとんどが市外のメンバーばかり。

それでも市の行事に参加する機会も多く、50名ほどのメンバーで地域に密着した活動をしています。

IMG_1564 開演直前の舞台袖から、スタンバイした舞台を撮影

本番前の、かすかな緊張感とちょっとしたワクワク感は他のシーンではなかなか味わえないですし、演奏後の打ち上げも、直前のプレッシャーから解放され、わいわいととても楽しい場です。

生まれ育った山梨でも、進学・就職先の静岡・浜松でも、そして今でも、音楽を通じて本当に多くの人と出会いました。

今でも細々と音楽を続け、子供達にも影響を与えているとなると、私にとっての音楽の存在感はとても大きいのです。

仕事も含め、形のないものを大切に思う気持ちは、そんな所から養われたのかもしれません。

形が残らないからこそ、その瞬間を大切にする。

そんな思いで、仕事でも相手の方に向き合い続けています。


18歳で親を送る。

先日、次男の小中学校の同級生のお父さんが亡くなり、お通夜に参列してきました。

51歳でした。

早すぎる死に、私もショックを受けました。

喪主は同級生のお母さん(つまり亡くなった方の妻)がつとめていたのですが、2歳年下の弟と、3人で並んで参列者に頭を下げている姿に心が痛みました。

お通夜が一通り済んだ後、亡くなった方の会社の方々にがんばるように声を掛けれられ、お母さんを助けるようにと言われている様子に、切なくなりました。

我が家の次男の同級生。

同じように進学の節目を迎え、それだけでも動揺する日々なのに、もう既に家族の存在を意識する立場に立たされるとは…。

私が18歳の時なんて、自分のことばかり考えていたなぁ…。

大人になるってなんだろう、大人にされるっていうことなのか、いろいろ考えてしまいました。

亡くなったお父さんも、息子たちの成長を見ることのできる、これからといった時期での別れに、さぞ心残りだろうと思います。

一番交流のあったお母さんも、わが身に置き換えて、不安でさみしいばかりかと…。

心より故人のご冥福をお祈りします。


子供に「レジリエンス」を鍛えられた私

ある懇親会でご一緒した方との話題で、受験生の母子関係の話題になりました。

その方曰く、受験生へは母親の精神状態がとても影響が大きいと。

母親が大らかでいることで、子供もがんばれるわけですね。

でもそうそうそんな訳にはいかないから、私は次男とのやり取りに行き詰ったら、あえて仕事を入れていました。

私は気持ちが子供のことに集中しすぎるのが怖くてそうしていたのですが、それは「自分をコントロール」していたのだと言われたのです。

最近では、「折れない心」とか「逆境を乗り越える力」としての「レジリエンス」が話題になっています。

つまり大木のどっしり感より、竹のようなしなやかさ(レジリエンス)の方が大切だと言う考えです。

そして、しなやかに乗り越えていくためには、うまくいかないときの自分のコントロールの仕方が大切になってくるのです。

無意識にやっていたとはいえ、私に受け流して乗り切っていく力がついたのは、子育てを経験したからだと思っています。

子育ては思い通りにいかないことだらけ。

でも、もともと私は段取り通り進んでほしいタイプだったので、モヤモヤすることが多かったのです。

結局、思い通りにいかないことが続きすぎるので、徐々に工夫するようになりました。

待つ間に何か少しでも自分がやりたかったことをして「待つストレス」を「得した」気持ちにする。

熱い思いで話しても言う通りには動かない子供を前に、自分の好きなことをやる時間を取って気持ちを落ち着かせる。

数え上げればきりがないくらい、子育ての中で「やりすごす」行動をとり続けてきました。

そんな積み重ねが私をしなやかにさせた訳です。

私が子育てをしたような気になっていても、実は子供に鍛えられてきたんですね…。